見出し画像

「かわいい」のパイオニアは北九州市に住んでいた

かわいいは、“21世紀に入って世界に最も広まった日本語”と言われます。大正時代、現在でも通用するというか、絶賛を浴びそうな絵を描き人々を魅了していた作家・竹久夢二。
竹久夢二は青年期、北九州市の製鉄所に勤めていました。

平戸懐古
黒船や
黒船屋
宵待草


いま、ゆかりの地、北九州市立文学館で「"かわいい”のパイオニア 竹久夢二展大正浪漫のマルチクリエイター」が開催されています。
夢二は、郷里の岡山県邑久郡(現・瀬戸内市邑久町)から遠賀郡八幡村大字枝光(現・北九州市八幡東区山王)に家族とともに移り住み、15歳から16歳の一時期を北九州で過ごしました。
操業したばかりの官営八幡製鐵所の製図筆工として働いたと言われています。その後、芸術への思いを募らせ、家出同然に上京します。
愁いをたたえた表情と大きな瞳、八頭身が印象的な「夢二式美人画」が広く知られる一方で、約100年前の日本で、“かわいい”というキャッチコピーで自らデザインした小物を売り出すほか、雑誌などの表紙画や挿絵、書籍の装幀、自身の詩画集の出版、小説の創作なども手がけた今で言うマルチクリエイターでもありました。


八幡東区のジ•アウトレット横の道路は「夢二通り」と名付けられています。
北九州市立文学館は北九州市立中央図書館前、展示は9月23日までです。

夢二ゆかりの地図

いいなと思ったら応援しよう!