無問題④
今までの人生で、僕は誰かにこの出来事について語ったことがない。
今までずっと自分の内に秘め続けて、その出来事から8年が経ったいま、どうにか折り合いをつけて、やっとそれを、文章にできるんじゃないかと思った。
あのころの最悪な気分を、風化させて生きていくのは、ある意味死ぬよりも怖い。
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小学四年生に上がって、僕の吃音は少し治まっていて、挨拶以外なら比較的スムーズに話せるようになっていた。逆だろ、と思われるだろうが、僕は母音から始まる単語が特に苦手で、「おはよう」「いただきます」「ありがとう」などの挨拶がとても言いづらかった。
ここでやっと僕は、小学校に入って初めて同級生と言葉を交わすことになった。それがまずかった。
僕は小学四年生に上がるまで同級生の誰かと会話をしたことがなかった。
しかし、それは大した問題ではないだろうと僕自身は考えていたし、はやく誰かと話せるようになって、「友達」をつくってお母さんに紹介してあげたいという気持ちが強かったから、積極的にとはいかないまでも、できうる限りで僕は同級生との接触を試みた。
だが、当時存在していた、自分と周りの「ずれ」に、気づいていなかった。
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小学四年生まで、僕は、前述の通り街中をうろつくか、もしくは昆虫に話しかけることで時間を潰していた。
僕の中で同級生と昆虫は同列の存在だった。
もちろん誇張だが、嘘ではない。少なくとも当時の僕は、友達の前でも昆虫に、人間に対してと同じように話しかけていた。僕のその様子を見て面白がる子もいたし、僕を避けるようになった子もいた。
僕に遊ぼうと言ってくる子のほとんどは変なもの見たさで、だいたい3日もすれば飽きて遊ばなくなった。しかし、その中で、唯一、僕と遊び続けてくれた子がいた。
Sくんという、体操クラブに入っている運動神経のいい子だった。僕は初めての人間の友達に、ジョロウグモの友達であるジェシーを紹介した。小学校のため池の近くに大きな巣を張った蜘蛛である。
次の日ジェシーの巣はなくなっていた。きっと引っ越したんだよとSくんは笑顔で言った。
僕はジョロウグモがそう簡単に巣を放棄しないことを図鑑で読んで知っていたが、僕は図鑑よりSくんの言っていることを信じることにした。
その日の夕方に、僕はSくんにセミの幼虫を紹介した。
「その子」の名前は覚えていない。するとSくんは笑顔のまま僕の足元の「その子」を踏み潰した。茶色いセミの幼虫の中身は濃厚な白色で、給食の豆腐揚げみたいだと思った。
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そのあとはよく覚えていないが、泣きながら当時の担任の鈴木先生に友達を殺されたと訴えた気がする。そのとき鈴木先生は何を思ったのだろう。
その日、帰り際に、僕はSくんになにか暴言を吐いた。おそらくそれはうまく言えていないし、伝わってはいなかったと思う。
それから僕はSくんと遊ばなくなり、徐々に毎日が変わっていった。
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朝学校に来ると上履きがなかった。上履きは下駄箱の上に投げ込まれていた。
イスに座ると尻に激痛が走った。防災頭巾のカバーの内側から、画鋲が針だけ出るようにして仕込まれていた。
左側の道具箱を開けるとブラックホールになっていた。そこにしまっていたすべての文房具が墨汁に浸かっていた。
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どういう背景があってここまで手際のいい嫌がらせができたのかは永遠に謎のままだが、これらが複数犯であることは確かだった。そして、なんで当時の僕はこのことを誰にも言わなかったのかは、もう僕にも分からない。
無理やり思い出して考察するに、おそらく僕は、これを「雨」に近いものだと受け止めていた気がする。雨は自分の意志でどうこうできるものではないから、人はみんな傘をさす。
悪意を直視しないように、僕は細心の注意を払って、傘を差すのと同じように、モップの柄で下駄箱に乗った上履きを手繰り寄せ、防災頭巾のカバーをいちいち外してひっくり返し、真っ黒になったマリオの筆箱を洗った。
それを普通ではないと言ってくれたのが、隣の席になったAくんだった。Aくんは同じ係で、Sくんの次に話した回数が多かった。先生に言おう、と彼は何度も言ってくれたが、僕はそれを拒否した。
当時の僕は壊れていて、先生にこの問題を解決してもらうよりも、このままAくんに心配されていたいとなぜか思っていた。
そんな嫌がらせを、実行する側も飽きたのか、だんだん悪意は実体を持つようになった。
いつの間にか、昼休みに僕を追いかけ、最初に捕まえた人が僕を好きなだけ殴れるという革新的な遊びが流行った。最初はSくんを含む3人ほどで開催されていたが、日に日に人数は増えていった。
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決定的な日があった。
小学四年生の終わりごろ、初めての性教育の授業があった。一年生のときに第二図書室でそれに関する絵本を読んでいた僕はすでに知っている内容だった。
初めての性知識にクラスが浮つくなか、僕だけが違う理由で落ち着きを失っていた。授業は5時間目だった。昼休みに顔を殴られて、そのダメージは、授業が始まって5分ほど経ってから、鼻血として表れていた。
僕は鼻血が出ていると気づいた瞬間、鼻を押さえて、どうにか止まってくれと祈った。血液は鼻腔で溢れて口にも回り、鉄の味がじわじわと広がった。
止まれ止まれ止まれ止まれ。
1分が長く感じられて、視界が白んだ。開いた教科書に載った子宮のイラストが、異常にグロテスクだった。冷や汗で、鼻をつまむ手が滑った。
「あー大丈夫? …なに、興奮してんの?お前」
日本では鼻血を出した生徒に対して笑いながらこう言える人間が小学校の教員をしている。そのとき、僕はどういう風にクラスの全員に笑われ、どんなレッテルを貼られたのかは、よく覚えていない。思い出そうとしていないだけかもしれない。
昼休みに僕を殴る遊びには、同じクラスの、山田くんを除く全ての男子生徒が参加するようになった。遊びを開催するときのかけ声の担当はAくんになった。(山田くんは中学受験のため、昼休みはすぐ図書室に行って勉強していたらしい)
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結局、それは僕が5時間目の授業に出席できなくなるほどにエスカレートするまで発覚しなかった。
鈴木先生は、「全員にきっちり指導をして、親にも電話し、二度とこんなことのないようにした」と言った。いちばん最初にこの遊びをやろうと言ったのは誰?主犯は?と先生は聞いた。
お前だよ、と本気で言おうとしたが、母音から始まる言葉なのでうまく言えなかった。
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玄関の床が、お詫びの菓子折りで埋め尽くされているさまを見たことがあるのは世界で僕だけだと思う。(これももちろん誇張だ。実際はふたつかみっつだったと思う。どちらにせよ、僕にはほんとうに玄関が埋め尽くされているように見えた。)ちなみにSくんからは謝罪もお菓子もなかった。お母さんには心配をかけた。泣き腫らして、あなたはあなたのままでいい、と、自分に言い聞かせるように何度も言っていた。転校したっていいんだよ、とも言ってくれた。僕は、菓子折りの羊羹だか、最中だか、を食べながら、「大丈夫」と言った。
抱えている問題の大きさを理解できていなければ、問題はないのと同じだ。
(続くかは未定)