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無問題①

僕には大きな問題があった。大きな問題、といっても、それは小さないろいろな問題が重なり合ってどうしようもなく絡み合い、それを遠目で見て「大きな問題」としているだけだ。近くでそれをひとつひとつ直視する気にはなれない。今も。





すべてがどうしようもない問題ばかりだったが、とくに手の打ちようがなかったのが吃音と多動だった。これはたぶん生まれついてのものだった。


小学一年生の終わり頃、「放課後、残っていてちょうだい」と担任のおばあちゃん先生に言われた。


4時くらいにお母さんが来て、一緒に帰れる!と喜ぶ僕をよそに、お母さんは深刻な顔をしていた。お母さんと先生は図書室で話をするから、あなたは第二図書室で待っていてと言われた。第二図書室に入ると、窓から射し込んだ夕陽が埃に反射してきらきら舞っていて、綺麗だなと思ったのを今でも覚えている。


僕は本棚の一番上の段にあった性教育の絵本を取り出して読んだ。僕はお母さんとお父さんが愛し合って生まれたんだと知って、嬉しかった。


何分かして、お母さんが僕を呼んで、帰ろうと言った。お母さんにランドセルを持ってもらいながら歩いて、春にチューリップが咲く花壇に差し掛かったところで、お母さんが「あなたは二年生になれないかもしれない」と言った。


そのとき僕がなんと返したのかは覚えていない。


そこからお母さんは「絶対にそんなことはない」「あの先生の指導が悪いだけ」とぶつぶつ一人で呟いていた。僕に聞かせるつもりのない声のトーンだった。





何日か経って、僕は市役所のよく分からない密室に、さながらエヴァンゲリオン最終回のシンジくんのように折りたたみイスに座っていた。


前には髭の生えたおじさんがいて、僕に絵本を手渡した。「これを音読してみようか」と優しい声でおじさんは言った。その絵本はヴェルサイユ庭園の何とかというタイトルだった。僕はカタカナの「ウ」に点々が付いている文字をそのときまで見た事がなかったので、なんと読めばいいのかわからなかった。僕の視線が泳いで、お母さんを探す。どこにもいない。そのおじさんが首から下げているプレートが目に映る。はったつしえんサポーター、と子供に意味を理解させる気のないひらがなが書いてあった。


結局僕がなんという「診断」を下されたのかはわからない。その日から僕は、お母さんと、音読をする練習、目線を合わせる練習、イスに30分座りつづける練習を毎晩した。




結論から言うと、練習の成果はまったく出なかったが、普通学級で小学二年生に上がることはできた。しかし僕のクラスはいわゆる問題児クラスというやつだった。


始業式の次の日に三宅さんという子がイスに座りたくないと暴れ、一週間後に転校した。三宅さんの両親はグローバルに活躍する有名な研究職で、家族でフランスに渡ったらしい。

僕もそんなふうにこの街から出ることができていたら、どれだけよかっただろう。



(続く)

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