無題②
「中学生にもなって母親のことをママと呼ぶ男はキショいから教室から出ていけ」
僕の通っていた中学校の英語教師が、最初の授業で半笑いで言った。
その日から僕はママのことをお母さんと呼ぶようになった。
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その英語教師は頭がおかしかった。授業中に自分の好きな音楽をスマホで流すわ、式典にサンダルで参加するわ、あげくの果てには、「Because」という単語は英語的におかしいから作文で使用した場合0点にすると言い、ほんとうに0点をつけた。
僕は内申のために中学3年間いちども「Because」を使わずに作文した。
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僕はあの地獄の日々を「地獄」というふうに表現することしかできない。頭の悪い人間は自分の思考を言語化することさえできない。その必要もない。
そう考えていたが、結局いま、僕は自分の過去に耐えきれなくなり、見るに堪えない散文を、文字通りここに書き散らしている。
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いじめのもっとも残酷なところは、いじめられたその人を「特別」にしてしまうことだ。その「特別」は、その人間の精神に焼き付けられ、根本的な思考に、その後の人生に、深く影響する。
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いじめそのものは、立ち直ったあとであればさしたる問題ではない。よくあることだ。人は当然のようにいじめるしいじめられる。人間が3人集まれば、かならず立場が低い1人が存在する。
問題は、いじめによって、被害を受けた当人に、「自分はいじめられていたから、人間としての強度が高い」という思い込みが発生することだ。その思い込みにより、「自分だけは違う」という意識で一生、生きていくことになる。
たくさんの人から差別されて、暴力を受けてきた人間は、それを回避するために必死に自分や周囲を俯瞰しようとする。
しかしその視点はまず間違いなく偏っている。
そしてその癖は治らない。どれだけその後たくさんの人と関わっていても、歪んだフィルターを通してその人間関係を俯瞰しつづける。目の前の、優しいと思っていた人間から殴られた経験があるから。大切なものを壊された経験があるから。それは当然のことだ。
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僕はその癖のせいで、中学時代の交友関係はあまり広いものではなかった。
しかし、友達が少ないからこそ生まれる時間の余裕を、中学生バージョンの僕は勉強にあてることができた。小学生のころでは考えられないことである。
僕は先生に媚びを売るということ(それはBecauseを英作文で使わないようにする、という頭のおかしいものだったが)さえ覚えて、それなりの高校に進学した。本当にそれなりの、知名度もほぼない高校だが、そもそも昔は小学二年生にすらなれないかもしれないと言われていた僕なので、進学できただけずいぶんな進歩と考えるべきだ。
入学してから、僕は本当にギリギリの成績でそこに合格したということを思い知った。
高校に上がって1ヶ月ほど経つまで、僕は小学六年生の再現をしていた。つまり、趣味の合う女子とだけつるむという、人間関係を構築していた。いま考えると、高校生にもなった男が、男子が怖いからという理由だけでそんな行動をとるのは、信じられないほど気持ち悪い。
またあのころと同じように、放課後に女子たちとノートに絵を描いて過ごした(のちに仲良くなった男子曰く、「マジで気持ち悪かった」そうだ)。
だが、当時は本当に怖かった。中学校時代とは明らかに違う、高いスペックと持ち豊かな人生経験を積んできた彼らは、自分とは根本的に人種が違うのではないかと不安になった。(私服校だったのも原因としてあるかもしれない。彼らはみんなおしゃれな格好をして学校に来ていた。僕は当時ずっと体育着だった)
また、当時の僕には、あの環境で育って、この高校まで来たんだという、薄汚いプライドがあった。嫌な意味での、見上げた根性だった。
しかし、高校生なので当然、避けていても男子と話す機会はやってくる。
じっさい関わってみて、男子はまったく怖い人達ではなかったし、1ヶ月後には全員と仲良くなることができた。
話をするなかで、別に環境がいい、頭がいいからといって、特性や嫌な過去を抱えずに生きている人間なんていないと、ほんとうに当たり前のことをその歳になって知った。
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誰しもが自分の地獄を抱えている。その地獄の苦しみは誰にもわからない。
僕は僕の地獄が宇宙でいちばん辛いものだと考えているし、僕と同じようなことを考えている人はおそらくたくさんいる。
僕は自分の地獄に具体的な名前をつけることもできない。
(続く)
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