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「ありのままでいられる町」TENJIKU吉野の案内人・菊地さんインタビュー

こんにちは。旅が好きなヤマクボです。

2022年9月にすごい旅人求人サイトSAGOJOを利用し、奈良県にあるTENJIKU吉野に滞在してきました。

現在、全国に10数箇所あるTENJIKU。その中でTENJIKU第1号として生まれたのがTENJIKU吉野です。今回は現地案内人である菊地さんにTENJIKU吉野との出会いお聞きしながら、吉野町の魅力を探っていきます。

※『TENJIKU(テンジク)』とは、旅人が「地域のお手伝い」をすることによって無料で宿泊(2泊〜最大1ヶ月)できる、旅好きのための拠点です。地域とより深く関われる新しい旅のスタイルとして、その拠点を全国へ拡大しています。 ーーSAGOJOホームページより

TENJIKU吉野、現地案内人のご紹介

菊地奈々さん
神奈川県出身。以前は保育園に勤務。
2018年に奈良県吉野町に移住し、「地域おこし協力隊」に着任。TENJIKU吉野の現地案内人として、旅人と地域の人をつなげるパイプ役として活躍してきた。3年間の任期終了後も、引き続き現地案内人として活動中。

小さい頃からの夢は、保育園の先生になること

ーー吉野町に来る前は、どんなお仕事をしていたのですか?

都心部の保育園で働いていました。わたしは自分が保育園に通っている頃から「保育士」になるのが夢だったんです。明るくて優しい保育園の先生が大好きで、小学生になっても保育園に遊びに行っていましたね。

大学に進学して、一旦は心理学を学んでいたのですが「保育園の先生になりたい」という想いがずっと残ってました。そこで大学3年の時に通信教育で保育の勉強をはじめ、2年かけて保育士の国家資格を取ったんです。

ーーすごいです。在学中に勉強して保育士になったのですね。

最初は大きな保育園で働きました。子どもの成長を見るのが楽しくて、毎日充実していましたね。ところが、働き始めて5年経った頃に心身が疲れてきてしまったんです。保育園に行くのが辛くなり、ドクターストップが出たので一度保育園を辞めることにしました。

少し休んだ後、今度は小規模の保育園で働きましたが、しばらくするとまた心身が疲れてきてしまって。「どうして好きな仕事をしているのに、疲弊を繰り返してしまうんだろう?」と悩み、一度全部リセットしてみようと思い至りました。自分のことを誰も知らない土地で、まったく違う仕事をしてみようと思ったんです。

吉野町との出会いは「地域おこし協力隊」

ーー保育の仕事で疲弊してしまった菊地さん。吉野町への移住のきっかけはなんだったのでしょう?

求人を見ていたら、吉野町の「地域おこし協力隊」の募集を見つけたんです。その中で、観光課の森林セラピー事業に応募しました。自分自身がメンタルを崩した経験があるので、疲れた人や癒されたい人の気持ちに共感できるし、自分でも頑張れそうだなって思ったんですよね。

無事に応募が通って吉野町に移住したのですが、1年も経たないうちに森林セラピーの事業が打ち切りになってしまって……。この後なにをしようと悩んでいた時、新たに「関係案内人」というポジションができるからやってみないかと声をかけていただいたんです。関係案内人の仕事内容は、関係人口を増やすことで地域を活性化させるというもの。当初の希望とは違いましたが、地域おこし協力隊の任期が終わるまでは吉野町で働こうと思い、引き受けることにしたんです。

ーーTENJIKUが始まったのもちょうどその頃なんですね。

はい。SAGOJOが吉野町にTENJIKUをオープンさせ、わたしは現地案内人として活動を始めました。

手探りで始まった、TENJIKU吉野「現地案内人」の仕事

ーー現地案内人になって、どんな取り組みをされたのでしょう?

TENJIKUでは、訪れた旅人に地域のお手伝いをしてもらい、地元の方と交流してもらうことになっていました。でも、当初はお手伝いをお願いできる地域の方がなかなか見つかりませんでした。わたしは吉野町に来たばかりで知り合いもいないし、TENJIKUの存在も地域の方に周知されていなかったんです。

住んでいたアパートのオーナーに知り合いを紹介してもらったり、地域のイベントに参加したりしながら、少しずつ人脈を築いていきました。そして、段々と農作業のお手伝いなどをお願いしてもらえるようになったんです。

ーー地域の方と、地道に関係を築いていったんですね。

最初の頃は、こちらから一軒ずつお手伝いをお願いしていたのですが、2021年にやり方を大きくシフトチェンジしました。吉野町にある5つの地区の自治協議会にTENJIKUの意義を説明して、協力をお願いしたんです。説明の場には、SAGOJO代表の新さんや町役場の方にも同席してもらいましたね。

自治協議会は、町と地域住民のパイプになる大きな存在です。地域の方にTENJIKUが周知されると季節ごとの農作業やイベントなどの情報を教えてもらえるようになり、地域の方からお手伝いをお願いしてもらえるようにもなりました。人手不足解消にもつながり、活動の幅も大きく広がりましたね。

「お手伝いはツールなんだ」TENJIKU吉野での気付き

農家さんの出荷のお手伝い(左:菊地さん)

ーーTENJIKUを始めて約3年。現地案内人として、どんなことを感じてきましたか?

わたしも旅人と一緒に農作業などのお手伝いさせてもらうのですが、そのなかで感じたのは「お手伝いってツールなんだな」ということ。一緒に作業することで交流が生まれ、心の距離が縮まるんです。単に地域の”人手不足解消”だけがゴールではないのだと気付きました。

TENJIKUに来た旅人の多くは、地域の方との交流を通して吉野を好きになってくれるんですよね。旅がきっかけで吉野に移住された方もいますし、定期的に遊びに来てくれる旅人や、吉野で結婚式を挙げたいと言ってくれる旅人もいますね。

ーーお手伝いを通して、旅人にとって吉野町が大切な場所になっていくんですね。

吉野町の方って旅人に対して温かく、自然体で接してくれるんです。そんな地域の方と触れ合うことで、旅人の心もほぐれていくのかもしれません。

肩の力を抜いて、吉野町を楽しんでほしい

ーーこれからもたくさんの旅人がTENJIKU吉野に来ると思います。なにか伝えたいことはありますか?

旅人さんには、なんにも考えずフラッと来てもらえたら嬉しいですね。「地域創生」を掲げて熱い想いで来てもらうというよりは、飾らないで来てもらった方がいいのかなと。

吉野町は高齢化が進んでいるものの、地域のみなさんがまだまだ元気なんですよ。「おれが地域を活性化させる!」と言って活動している方がたくさんいます。あくまで主役は地域の方で、旅人はできることを少しやらせてもらう。そのくらいの力の抜け具合でいいと思っています。

ーー吉野町の地域活性は、地元の方ありきなんですね。

そうですね。TENJIKUに来る旅人の中には、移住時のわたしとように人生に悩んでいる方もいらっしゃいます。「転職しようかな」「これからの人生で何をしようかな」と相談されることもありますね。そんな旅人も、地域の方の明るさと優しさに癒され、救われているようです。

これからのTENJIKU吉野

ーー菊地さんは、これからTENJIKUをどんな場所にしていきたいですか?

正直、先のことはあまり考えていないです。考えすぎると動けなくなってしまうと思うんですよね。遠い未来を考えるよりは、目の前の繋がりを一つ一つ大切にすることが大事なのかなと感じていますね。繋がりを大切にすることで、その先の未来が大きく変わっていくと思っています。

ーー人との出会いが財産になっていくんですね。

わたしは、吉野町に来てから自然体でいられるようになりました。吉野町では仕事上だけの付き合いというのがなくて、オープンになんでも話せる雰囲気なんですよね。地域の方は、親戚みたいにどんな時も温かく受け入れてくれるんです。

振り返ってみると、都心にいる時のわたしはいつも無理をしてた気がします。仕事や人間関係の悩みを自分の中で抱えてしまいがちでした。今は、オンとオフの分け目もなくなって、素の自分でいられる時間が増えましたね。今が自分にとって心地よい状態なので、これからもこの生活を続けていけばいのかなって。吉野に来てから、わたしもだいぶ肩の力が抜けましたね。

編集後記

吉野町から東京に帰るヤマクボと娘。近鉄のホームにて。

旅人と地域の人をつないでいる菊地さん。わたしが吉野町を訪れた時も、芸術祭のお手伝い、農家さんのお手伝い、グランドゴルフ大会への参加など、地域の方との交流の場をたくさん設けて下さいました。旅人にも地域の方にも慕われる菊地さんは、いつも相手の視点に立つことを忘れない、笑顔のやわらかい方でした。

温かい出会いと思い出が生まれた吉野町。みなさんもぜひ、ふらりと遊びに行ってみてくださいね。

(この記事は、2022年10月に取材・執筆しました)


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