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「旅がわたしを作っていく」母とふたりで見た、インドのヒマラヤ

人にとって、旅とはどんな体験だろうか。

私にとっての旅は、その土地の自然の中に飛び込むことであり、そこで親しまれている食べ物を食べることであり、言葉の通じない人々と会話することである。

2016年のゴールデンウィーク、私はインドの山岳地帯にいた。

持ってきたバックパックには、寝袋やガスコンロ、ミネラルウォーターなどが入っている。どこでも寝れるようにと、野宿できる装備を詰め込んでいた。

ひとり旅も好きな私だが、今回の旅には相棒がいた。それは、私の「お母さん」である。

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「ねぇお母さん、インドのヒマラヤ見に行きたいんだけど、一緒に行かない?」

桜がまだ咲く前の3月、私は母をインドのラダックへと誘った。ふたりで休みを合わせ、有給と祝日をつなげて8連休。長くはないが、短いトレッキングは楽しめるのではないかと思っていた。「楽しそうだね。うん、行く」母は迷わずに、そう答えた。

山登りが好きな私たち親子は、よく二人で北アルプスを縦走したり、テント泊したりと山を楽しんでいた。「せっかくならヒマラヤを一緒に見てみたい」前から気になっていたインド北部のラダックに行ってみよう。仕事の合間に航空券やインドビザを取得し、その日を心待ちにしていた。

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2016年5月1日。

私と母は、標高4050mのルムバクという村を目指していた。ラダックの中心部であるレーで2日間の高所順応をしたあと、この高地の村にたどり着くために、山あいの道を歩いていた。

「この道で合ってるかなぁ?」私と母は見知らぬ道に不安を感じながらも、遠く見える白い山々にテンションが上がっていた。

今回の旅で、私たちはある計画を立てていた。山地の村々をホームステイしながら、標高4800mのストク峠をトレッキングして越えようというものだ。

ストク峠のふもとに位置するルムバク村は、ネットも電話も通っていない。車道もないので車も入れない。外からの連絡手段が何もない僻地だ。そして、この村にはホテルもないので、民家に頼んでホームステイさせてもらうことになる。なんともワクワクする旅になりそうだ。

4時間ほど歩いて、無事にたどり着いたルムバク村。ひとまず一番手前にあった民家に入ってみることにする。HOMESTAYの文字が見えた。「ホームステイ! オーケイ?」そう叫びながら家の門を開けて歩き進めた。人はいるのかな。本当に泊めてくれるのかな。

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民家にはおばあちゃんと、お母さんと、2歳の男の子がいた。家に招きいれてくれて、ミルクティーを振る舞ってくれた。泊めてくれそうなのでホッとする。居間でコロコロ転がっているのはヌルボくんという可愛い男の子だ。私の母は、ここに来るまでの道のりについて、おうちのお母さんに興奮気味に話している。片言の英語だがなんとなく通じているようだった。

こんなに山深い場所でたくましく子育てしているルムバク村のお母さん。テレビもない、ネットもない、電話もない。でもそのかわりに雄大な山があり、空があり、世界中の旅人が来るおうち。この村で、ヌルボはどんな男の子に成長していくのだろう。

村は標高が高いので酸素が薄い。手足がしびれてきたり、目がチカチカしたりする。ゆっくり呼吸し、水をたくさん飲んで高山病にならないよう注意しなければならない。

明日はストク峠を越えるのだ。早く寝てゆっくり休もう。

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翌日、私はストク峠を目指してノロノロと歩いていた。

前方の遥か遠くには、先を歩く母が見える。標高4300m地点。私はバッチリ高山病になっていた。体力にも気力にも自信があったのに悔しかった。

足が前に進まない。10m進むのもやっとの情けない状態だった。ゼェゼェハーハー呼吸を整えて、エネルギーを絞り出してまた一歩、また一歩と進んでいく。ザックの重さが肩にくいこむ。

母は何度もこちらを振り返り、私を待ちながら進んで行く。

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この日は、ストク峠を越えて、ストク村に下山する予定だった。長くても8時間歩けば村に着くだろうと予想していた。ところが私の不調により、大幅に遅れそうだ。峠まであとどのくらい?苦しい。重い。悔しい。でも歩かないと。その繰り返しが頭の中をグルグル回っていた。

「息をゆっくり吐く」それだけを意識する。自分の苦しそうな呼吸と壊れそうなほど速く打つ心臓の音しか聞こえない。修行だった。

「...さーん、あゆさーん!」

呼吸に集中していたら、遠くから私を呼ぶ母の声がした。

「もうすぐだよー!すごい景色だよー!」

母は、元気に、そして興奮しながら叫んでいた。やっと峠に着くみたい。やったー!体から力が抜けていく。

そこはストク峠の頂上だった。色とりどりの祈りの旗が目印だ。峠の先に見える白い山々が美しかった。母と二人で子どもみたいにはしゃいで写真を撮った。

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そう。母と見たかったインドの山々。壮大だなぁ。幸せだなぁ。

雪どけ直後のストク峠には、私たち以外に誰ひとりいなかった。もうすぐ日が暮れてしまう。静かな静かな谷間を、私たちは足早に下っていった。

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翌朝、私たちはストク村の民家で目を覚ました。

前夜は、21時を過ぎてもまだまだ村にたどり着く気配はなかった。「もう野宿しようか。寝袋、ダウン、水、ガスもあるし、そんなに寒くないから大丈夫でしょう!」母は気丈に言う。道の脇にはまだ雪が残っていた。ぜったい寒い。

もう少しだけ歩いてみようと進んでいくと、22時頃にひとつの民家にたどり着いた。外で歯みがきをしている子どもたちがいたので、泊めてくれるようお願いしたのだった。「今、ストク峠から降りてきた。泊まる場所を探してます。」と母と私は身振り手振りで伝えた。

「Come in!」しばらくするとその家のお母さんが出てきて、笑顔で手招きして、暖かい家に入れてくれたのだった。

ふかふかの布団と毛布に包まれて、倒れるように眠りについた。冷たい外での野宿にならなくて良かった。暖かい暖かい夜を過ごした。

朝ごはんにはオクラや玉子炒め、小麦粉のチャパティを作ってもらった。美味しくて美味しくて、今でも忘れられない味だ。真夜中に、見ず知らずの外国人を泊めてくれた料理上手なストク村のお母さん。私たちを笑顔で迎えてくれて、笑顔で送り出してくれた。ありがとう。

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このストク村はのどかだった。「ジュレー(こんにちは)!」道で出会う村人も、言葉は通じないけど、ミルクティー飲んでけと誘ってくれる。嬉しくなって、母とお茶タイムに参加させてもらう。こんなにゆったりほっこりした時間、日本にいる時はあんまりなかったな。

昨日までの心の緊張がユルユルとほどけていく。せっかく素敵な村なので、もう1泊滞在することにした。おじいさんおばあさんの家を紹介してもらう。

ここでは牛を飼っていて、毎日乳を絞るんだって。牛の乳で出来たバターとヨーグルト。濃厚で素朴な無添加の贅沢な味わいだ。こんなにおいしいバター食べたことない。みんなで囲む朝ごはんは特別で幸せな時間だった。

滞在中、言葉はひとつも通じなかったけど、それは暖かい暖かい時間だった。別れ際に、おばあちゃんの手を握って「ありがとう」を伝えた。おばあちゃんの手はとっても暖かくて、とっても力強かった。

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こうして4日間のホームステイとトレッキングを終え、中心部のレーへと戻っていったのだった。

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そして、母とのふたり旅はあっという間に終わった。
8日間の旅を終えて、私たちはそれぞれの日常に戻っていった。

この旅から6年近く経つ。

今でもこの旅を思い出す。子どものように二人ではしゃぎ、知らない人とたくさん話し笑った。ホームステイをし、知らない文化を肌で感じ、自然の中でシンプルに生きるラダックの人をとても好きになった。

二人きりで谷を歩き、4800mの山を越え、遠く連なるヒマラヤの山たちを見た。旅の間、いつでもどこでも冷静で前向きな、強靭な体力を持つ母を知った。おばあちゃんになっても母と友達みたいに旅ができたら最高だ。

私はこれからもこんな風に自由に旅をしたい。忘れられない時間を心に焼き付けたい。そして、知らない世界を見続けたい。

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私にとって旅とは何だろう。改めて考えた。それは、五感のすべてを使って冒険する行為であり、温かい毛布で寝ることのありがたみを感じる経験なのかもしれない。そして、これからつづいていく日々を力強く生きるためのエネルギーをもらう、宝物のような時間でもあるのだと思う。

旅をしなければ見れない景色がある。出会えない人がいる。旅で出会ったすべてがわたしを変化させていく。
これからも、まだまだ旅をつづけていきたい。

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