母の日事変
今日は母の日だがみなさんは何か準備をしただろうか。
先日、我が家では母の日を巡って諍いが起きかけた。
もう準備をした人もまだ準備をしていない人も、私の愚痴を何かのきっかけにしていただければ幸いである。
▼どうでもいい登場人物紹介
【母】
陽気な体育会系。私には性格が遺伝している。
私が小学生の時、我が子が二重跳びも逆上がりもできないのを心配して目の前で何度も何度も実演してみせた。ちなみにできるようにはならなかった。
父からのイジりを嫌がらせと捉えて嫌がっている。
【父】
酔うと陽気になる理系。私には外見と運動神経が遺伝している。
私が小学生の時、算数の勉強を手伝おうとしたが方程式の概念を知らず断念、「習っていないからできないっていうのは理由にならないと思う」と言い残して去っていった。普通に教えてくれれば良かったと思う。
母が好きだが不器用かつ捻くれているのであまり伝わらない。
【弟】
陽気な理系&体育会系。私とは5才差。家族の誰とも外見と性格が似ていない。
私が小学生の時、私のゲームを勝手にプレイしてデータを上書きした。さらには私が高校生の時、私のゲームやPSPを盗み数年に渡り友達に貸していた。どちらも発覚時に全く反省の色が見られなかったのでサイコパス認定している。
北海道の大学に通っており、部活も忙しいため、お正月しか会う機会がない。
【私】
蠍座なので昔のことをいつまで経っても忘れず、時折ネチネチと蒸し返す。
家族ラインも無許可で晒す。
▼火蓋を切る父
百聞は一見に如かず、まずは以下の家族ラインの文面を見てもらおう。
対する母の個人ラインでの反応がこちら。
見たことないくらい怒っていた。
▼火に油を注ぐ弟
この状況は明らかに父と弟に責任があるが、ここで諍いを起こすのは避けたい。
そこで、助け舟を送ることにした。
お前、今の状況わかってるのか。
と思ったもののわかっていたらこんな発言をしないはずだし、既に母の怒りは落ち着いていたため、事態はスムーズに収束した。
母、優しい。
▼なぜ母は怒ったのか
被告人は2人。
1人目は父。罪状は”肩叩き券”と”お手伝い券”という単語だ。
2人目は弟。罪状は「希望します」「どちらでもいいです」という返答だ。
1人目、父について。
そもそもなぜ個人ラインで確認しなかったのか。大方、「母の日だから何かしたい…娘は毎年何かしら準備してるし大丈夫そうだけど息子はダメそうだな…でも息子に直接連絡するのはちょっと気恥ずかしい…よし家族ラインを使おう!」と思ったのだろう。サプライズ感はやや失われるが、母の日に母に喜んでもらいたいという気持ちが伺えるので好感度はかなり高い。
問題はその後の”肩叩き券”と”お手伝い券”という単語だ。もちろんこれは父なりのジョークであり、弟に対する「嘘でもいいから忘れたとか言うな!今からでも何か用意しろ!」という婉曲的なお叱りであり、そしてそんな彼をフォローするための発言であり、単語そのものに罪はなかった。また父としても、よもや弟が提案に乗ってくるとは思っていなかっただろう。
ここで父が母の”肩叩き”や”お手伝い”を日常的にしていたらイラッとしないはずの単語だったが、現実はそうではなかったことが母の怒りの根本原因だ。行動は変えられる。父には日常的に”肩叩き”や”お手伝い”をするよう心がけてほしい。ちなみに定年退職後は全ての家事を父がする約束になっているらしい。両親とはいえよそのカップル間の話なので口を出す筋合いはないが、うまくいくのか不安である。
2人目、弟について。
母の日を忘れていたことは事実だし、忘れていた事実を隠さず言ったのも問題ではない。しかしその後の発言からは「母の日忘れてたけど今から何か考えるのも面倒だなあ…父の提案通りでいいや、自分は何もしなくていいし…お正月に実家に帰った時には券の存在なんてみんな忘れてるだろう」という心中が透けて見える。もうスケスケだ。
その後の「今外出るの嫌だ」という発言も額面通りに受け取っていいものか疑問である。なぜならこのご時世、外出せずにプレゼントを送ることなど、いとも簡単にできるからだ。実際に私もそうしたし、自分で思いつかなかったとしても「母の日 コロナ どうする」などと検索すれば色々なアイディアを見つけられることだろう。したがって、外出による感染リスクは方便であり、せっかく何もしなくてよさそうだったのに姉の余計な発言で何かさせられそうになって焦ったのだろう。
母の日とは母に日頃の感謝を示すための記念日である。本人がそこまで考えて発言したとは思っていないが、「母の日に何かするのは面倒だ」という思考は「母の日なんてどうでもいい」と読み取れ、それはつまり「自分は母に対して日頃の感謝を感じていないし、特に気にかけていません」というメッセージに通じている。このメッセージを受け取ったことが母の怒りの根本原因だ。本人の人間性の問題なので変えるのは難しいが、せめて記念日くらいはちゃんとしてほしい。
▼今回の教訓
今回の件で得た教訓は2つだ。
①家事分担は共同生活の永遠のテーマである
②マメじゃない人ほど記念日をお祝いした方がいい
1つ目は根が深いので寝かせておくとして、今回は2つ目について解説する。
一般的に、「あなたを気にかけています」というメッセージの発信により、より強い信頼関係を築くことができると言われている。家族や友人なら文字によるコミュニケーション、カップルならボディタッチ、上司と部下なら声かけ、などと大抵の人は意図せず発信しており、またその発信形態は関係性により様々だ。
ただし、日常で発信するレベルのメッセージはとても小さいので、積み重ならないと効力を発しない。セロハンテープは1枚だと無色に見えるが、何枚も重ねていくとうっすら黄色く見えるのに似ている。そこで記念日の出番である。記念日は、手紙やプレゼントを通して、はっきりと「あなたを気にかけています」というメッセージを発信する絶好のチャンスである。先程の例えに倣えば、記念日は黄色いセロハンである。
もちろん日常的にはっきりとメッセージを発信できるならば、記念日に頼らずともいいと思う。しかし、いくら相手のことを好きであっても、恥ずかしいとか面倒臭いとかの理由でできない人もいる。そしておそらくできない人は世の中の大多数を占めている。だからこそ記念日が有効なのだ。365日が1日に圧縮されて、しかもメジャーな記念日であれば世の中からリマインドが入るなど、なんと合理的で効率的な仕組みなのだろう。記念日商法に乗っかりたくない方もいると思うが、上記の視点で考え直してほしい。なにしろ365日が1日に圧縮されているのだ。365日で減価償却されると考えれば大抵のものは出せない金額ではないし、相手にメッセージを発信するいいチャンスだと思えば記念日商法に乗っかるのも悪くないなと思えるのではないだろうか。
以上が母の日事変から考えたマメじゃない人ほど記念日をお祝いした方がいい理由である。
みんな、記念日は大切にしようね。
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