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ペットロスと向き合う——キャンちゃんが教えてくれたこと

ペットロスと向き合う——キャンちゃんが教えてくれたこと


1. 最愛のペットを失った日

2017年9月5日、私の大切な家族・キャンディが亡くなった。19歳だった。

2015年11月に慢性腎臓病と診断してから、2年近く。
少しでもストレスなく生活できるように、できることはすべてやった。

病気の進行を止めることはできず、9月に入ると急速に悪化。
終末期鎮静の末、穏やかに息を引き取った。

私は最期の瞬間を見届けた。
苦しまずに逝けたことは、飼い主としても、獣医としても、最良のかたちだったと思う。

その時の様子は、👇こちらに綴りました。

この時の私の心境を一言で表すのは難しい。

「悲しい」でもなく、「ホッとした」でもなく、
ただただ「無変化」を目指すような、「逃避」に近い感覚だった。


2. 悲しみは、段階なんかじゃなかった

亡くなった翌日も、私は変わらず仕事をしていました。

診察室で、ワクチン接種に来た子猫を抱えながら、
「これが日常だ。何も変わらない。だから大丈夫」

そう言い聞かせるように、心を無理やり平坦に保とうとしていました。

1週間の間に、たくさんのお花をいただきました。

「自分が死んでも、こんなに戴けないんじゃないか?」という程。
毎日、毎日、お花が届きました。

余談ですが、左の大きなお花は、私の心の拠り所、「TARAKOさん」から。

「死の受容の5段階」という考え方を知ってはいたけれど、
自分の気持ちはそこには当てはまらなかった。

この気持ちは、「怒り」なのか?
いや、違う。誰かに怒っているわけじゃない。

「否認」でもないし、「取引」でもない。
私はキャンディが亡くなる、その過程をすべて見届けた。

感情が順番に進むわけじゃないし、ステップを踏んでいくものでもない。
ある日突然、何かが軽くなることもなければ、すべてを「受け入れた」と思える瞬間がくるわけでもない。

じゃあ、この感情は何なんだろう?
どの本にも書かれていない、どの「理論」にも当てはまらない、

今、思い返すと「感謝」が一番近いと思う。


キャンちゃんが亡くなり、7年が経ちますが、仕事柄、
「新しい猫を飼わないのか」と聞かれることがあります。

中には、自らが保護されている猫さんの、里親話を持ちかけてくる人も。

悪気がないのは分かっているけど、そういう言葉がどれだけ軽く響くかを、相手は知らない。

でも、それは、仕方のないこと。

気遣っていただいている事に、「感謝」
本当に、「感謝することは」最強…。

「大丈夫です」

良い意味で、なるようになります。
そのことだけは、確かに感じます。


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山本健二(Kenji Yamamoto, 獣医師やまけん)
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