Leica Life #07 「辞め時が勉強し時 〜Leicaを売ろうと思ったその日から〜」
目次
1. モノローグ
2. 最初に心惹かれたフィルムのHasselblad (500CM)
3. Hasselblad X1Dの魅力
モノローグ
「Leicaを売ろう」
と心に決めた日があった.
あまりにも最近カメラを持つ日々が少なくなっていたのだ.
Leicaを買ってから約10ヶ月.その間にレンズは3本体験し,色々な所に持って行った(東京,京都,仙台,盛岡,鎌倉,タイ,アメリカ,etc).
そんな愛しのLeica M-Eであったが,移動の少ない日常に対してオーバースペックの感が段々出てきた.
日々の生活の中で新たに目に映る風景も随分減った.
持て余していることはデジタルカメラに対する罪である.
寿命と中古価格を頭の中で勘案しながら,売って次に移ろうと思い至ったのだ.
そこからが本当に大切な日々になった.
「本当に手放していいのか?やり残したことはないのか?」
改めてLeicaと,レンズと,ボケと,色と.
そんな撮影にまつわるアレコレの勉強が始まったのだった.
最初に心惹かれたフィルムのHasselblad (500CM)
ずっと心惹かれていたカメラボディがある.
HasselbladのVシリーズだ.
ウェストレベルファインダーという名前を知ったのがいつのことだったかもう忘れてしまったが,一度その名を知ってから忘れた日はない.
上から覗き込み,文字通り『画作り』をするシューティングスタイルはとにかく魅力的だった.
Leicaもまたレンジファインダーという方式で独自性を作り出すが,Hasselbladもまた然りである.
とにかく一度はウェストレベルファインダーを体験したくて,Gakkenflexにも手を出した.
この気持ちにはまず間違いなくFan Hoという写真家が影響している.
Fan Hoという偉大な写真家は僕の中で世界一素晴らしい写真家である.
一度見たらもう忘れることはない.
王道的な構図の中に閉じ込められた光の空気感.そしてその解像度の高さ.
中判という特性を思いっきり活かしたその写真は,現代のカメラをも凌ぐ凄味を生み出している.
...
しかしながら,この積年の思いがたった1つのカメラによって押しのけられてしまうことになる.
Hasselblad X1D Ⅱ.
デジタルミラーレス中判カメラであった.
Hasselblad X1Dの魅力
とある休日のこと.
Leica売却を念頭に新宿のマップカメラの地下へと潜っていた.
Hasselblad 500CMを体験するためであった.
Hasselblad 500CMは予想通りの快感と予想以上の扱いづらさを僕にもたらしていた.
予想以上の扱いづらさというのは,カメラの回転とファインダーに映る画の逆転現象であった.
Gakkenflexで扱っているときからこの現象は知っていたが,その時はそれほど困難なものだとは感じていなかった.
それがHasselbladになった途端,難易度が跳ね上がったのである.
その理由はシンプルだ.
画面(フィルム)が大きいのである.
大きくなれば当然キャリブレーション難易度も変わる.
6x6という大きなフィルムで撮影するフィルムHasselbladにおいて,この調整難易度は初心者にはかなりしんどいものを想起させたのである.
そしてその苦渋の最中,僕に光明をもたらしたのがHasselblad X1Dというカメラだった.
Leicaの中判カメラは触ったことがあり,Leicaみを残しつつの中判カメラだなぁと思っていたのだが,Hasselbladの中判は何かが違った.
もちろんX1DはX1Dらしい画作りがあり,そのカメラで撮ったらそのカメラで撮った写真になってしまう側面もある.
だがそれ以上に,今まで触ってきたカメラには絶対にない何かも存在していた.
こうした些細な違いというのが実は最後まで決め手となることは,Leicaを購入するときに身をもって体験している.
つまり,有り体に言えば,このとき僕はHasselblad X1Dに惚れたのだった.
(色・ボケなどの調べ物は次の記事へ続きます)