父と生前に会話した量より,父が書いた論文の文量の方が多いかもしれない

論文はある意味,遺書みたいなものかもしれない.
論文を読めば,何を考えていたのかわかるし.

そんなことを思ったりもした一周忌の法要の日.

非公開にしていたのを復活させつつ.


「人間は明日死ぬかもしれない,というのは真理だが,実際毎日そうやって生きていくわけではない.なのでせめてこういう日には,そのことを思い出しながら故人を想いましょう」
今日の僧侶の言葉でした.

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