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ハリデーの最後のセリフは誰にとっての言葉だったのか(Ready Player One)

Ready Player One (2018) に関するネタバレを含むので,まだ観ていない方は観てから以下を読むことを推奨します.








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前提として.
自分はゲーマーと呼べる人間ではないし,その手のカルチャーへの精通度も高いとは言い難い.
そんな自分が,率直に当時感じたことと,改めて振り返った時にやっぱり同じことを思っているということを書きたくて,今こうして文章を打ち込んでいる.

さて,議題にあげるのは,Ready Player One (2018)におけるパーシヴァルとハリデーが最後にやりとりをするシーンについてである.

シーンとしては,パーシヴァルが契約書へのサインを無事に拒否し,イースターエッグを獲得するに至った場面である.

この場面で問題になるのが,「ここに出てくるハリデーは何者なのか」という点である(1'35"あたりから).

Parzival: Mr. Halliday, something I don't understand.
Parzival: You're not an avatar. Are you?
Halliday: No.
Parzival: Is Halliday really dead?
Halliday: Yes.
Parzival: ... then, what are you?
Halliday: Goodbye Parzival. Thanks. Thanks for playing my game.
パーシヴァル:分からないことがあるんだけど.
パーシヴァル:あなたはアバター?
ハリデー:違う.
パーシヴァル:ハリデーの死は本当?
ハリデー:そうだ.
パーシヴァル:あなたは何?
ハリデー:さよならだ.ありがとう,私のゲームで遊んでくれて.

(日本語訳はAmazon Primeより)

アバターでもなく,でもハリデーは死んでいるなら,あなたは何者なのか?
ということについて,色々な推測が立つだろう.
現に,あれはAIバージョンのハリデーじゃないか,と考える人達もいるようだ.

一方で,ハリデーが最後に放った言葉.
"Thanks for playing my game."
これも映画中に仕込まれた1つのイースターエッグであるというのはどうやら明らかで,『Super Mario 64』のクレジットの締めに使われる
"Thank you so much a-for-to playing my game."
のオマージュだというのは多くの人が認めるもののようだ.

さて.まずは『Super Mario 64』におけるセリフの立ち位置を考えてみる.

そもそもマリオの声で
"Thank you so much a-for-to playing my game."
というセリフが発せられることは構造として奇妙なものである.
マリオはゲームの世界観の中で存在するキャラクターであり,ゲーム中にしか生きていない.
ゲームをプレイしている現実世界のユーザーに言葉を投げかけるというのは設定として/構造としてある意味おかしなことである.

しかしながら,Ready Player Oneの作中でも出てきたゲーム『Adventure』におけるイースターエッグの振る舞いを考えると納得できるものはある.

『Adventure』におけるイースターエッグ
"Created by Warren Robinett"
は,作者からユーザーへ,ゲームを通じてメッセージを伝える方法の1つである.
こうした行いがカルチャーとして,またコンテクストとして認められるのであれば,
"Thank you so much a-for-to playing my game."
という製作陣からの言葉を『マリオ』というゲーム中のキャラクターに発言させることも認められることとなるだろう.


そこで今回のReady Player Oneにおけるハリデーの発言を振り返る.
"Thanks for playing my game."
これはスピルバーグが映画中の登場人物ハリデーに発言させた,観客に対する贈り物(イースターエッグ)なんじゃないかと僕は思っている.

構造としては,
Adventureでは,「作者→ゲーム画面→ユーザー」("Created by Warren Robinett")
マリオでは,「製作陣→マリオ→ユーザー」("Thank you so much a-for-to playing my game.")
作中のゲームOASISでは,「ハリデー→OASIS→ユーザー」(OASISの削除ボタン(運営権?)・物理的なモノとしてのイースターエッグ(光るエッグ))
Ready Player Oneでは,「スピルバーグ→ハリデー→映画の観客」("Thanks for playing my game.")
というメタ的な構造になっているんじゃないか,と思う.

確かに,筋として・文脈として,あの場面で突然正体不明のハリデーが登場するのは,観客に消化不良を起こさせてしまっているかもしれない.
しかし,作中であれだけイースターエッグの役割が重んじられ,クリエイターという点でスピルバーグの生き写しかのように描かれるハリデーは,スピルバーグの代弁者たる存在だと僕は思う.
そして,今作の映画はエンタメとしての要素も強いと思う.
「楽しめるものであること」が重んじられるのであれば,多少の遊び心をもってメッセージ(イースターエッグ)を込めることは許されるんじゃないだろうか.

「いままでの作品では、どういう思いを映画に込めたかは伝えてきたのですが、この映画に関しては、伝えたいメッセージがありすぎるので、観客には、自分にとってなにが大切なメッセージなのか見つけてほしいと思っています」

最初に映画館で「ありがとう,私のゲームで遊んでくれて(Thanks. Thanks for playing my game.)」を見聞きした時,自然と泣けたものだった.
それはあまりにもクリエイターからの言葉にしか聞こえなかったからだ.

スピルバーグが今まで作ってきたものを振り返れば,『ジョーズ』『E.T.』『インディージョーンズ』『ジュラシックパーク』(制作・総指揮を含めれば『バック・トゥー・ザ・フューチャー』なども)といったフィクションの(空想の)楽しめる産物だったはず.
こうした作品をこれまで楽しんできてくれてありがとう,というスピルバーグからのメッセージ(イースターエッグ)だったんじゃないか,と僕はどうしても思ってしまうのだ.

今回言いたかったことは以上である.
やっぱり自分で書いてみても,この意見に納得してくれない人が出てくるのは仕方ないなと思ってしまった.
それでも,あまりにもパーシヴァル・ハリデーのラストシーンのセリフが自分に響きすぎて,僕の中では最後の言葉
「ありがとう,私のゲームで遊んでくれて(Thanks. Thanks for playing my game.)」
はスピルバーグからの積年のメッセージにしか思えないものとなっているのだ.

これが仮に本当にイースターエッグだったとしたら,製作者からその意図が発表されることはないし,永遠に答え合わせはできない.
それでも,映画公開当時,スピルバーグのある種の集大成感を伴った作品として存在していたように記憶している本作品だからこそ,僕はあのメッセージをそうだと信じて生きていきたいと思う.

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