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いま夢を語る/見るということ(今年の振り返りとともに)

後輩が今年の振り返りを書いていたので読んでみたのだが,普段直接会う機会があったとしても,意外と何考えてるかを知らないものだなと感じることとなった.
そして,それは翻って自分にも同じことが言えるだろう,ということで,あまり普段共有することのない自分の中の考え事の部分を共有できればいいなと思う.
今年の振り返りをするかどうかはわからない.

なぜ何を考えているかについて書かなくなったのか

振り返ってみると,ここ数年間は自分が何を考えているかということを共有することが圧倒的に減っていた.これは偶然そうなったものではなく,割と意識的に行っていたことである.
それはなぜなのか?
------ 語る前に手を動かせ,の精神が強かったためだ.

学生(特に学部生)の頃というのは横並びの同世代の中で台頭する人間はそこまで多くない.そのため,「何を考えているか」「どういう意識を持っているか」という点が意外と差別化要素になりやすく,結果として自分の考え事を共有する気持ちを持ちやすかったのだと思う.

しかしながら,歳を重ねれば少しずつ自身の実績によって台頭する人も増えてくるわけで,自然と「何を考えたかではなく,何を作ったかで自分を示せよ」という評価軸に変わっていく.
自分の思惑は自分の実績の中に忍ばせて,実績を出した後に語れよ,と.

こうした変化によって,修士課程の期間は特に対外的にものを書くことも減り,手を動かす時間が増え,今自分が何を考えているかを共有することも無くなったのである.

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最近の心境に向けて

突然だが,皆さんの中二病は既に寛解されているだろうか?
僕は遅ればせながら,23,4歳の時に明確にようやく解放されたと実感した.
(※ここでいう中二病とは,「何者かになりたい」といったいわゆる「青年期の自己同一性をめぐる葛藤」のようなものだ.詳しくは下記の記事を読まれたい.記事は長いので,『1.「何者かになろうとする人」とは』と『6.どうすれば「何者か」になれるのか』だけでも良い)

寛解した時のことが実はどこにもメモされていないので,詳細について語れる範囲はそう多くないのだが,おそらく修士課程の研究を頑張ったことや自分との対話を続けたことがとても大きかったのだと思う.
寛解して辿り着いた結論は,「結局あるがままの自分でいることが,自分を最大化するし,間接的には何者かになるということも解決する」というものである.
『何者かになる=自己同一性が安定する』という話において,自身を心底肯定できるようになることで自己同一性に関する問題が落ち着いたわけだ.
断片的には,↓この辺が心中に触れている気もする.

これは自分にとってはとても大きい出来事である.中学二年生の時に抱き始めた『何者か』幻想の呪縛からようやく解放されたのであるから.
(解放までのプロセスは機会があればどこかに別でまとめよう)

しかしながら同時に,自分の心の中に別の問題も引き起こすことになった.
「もう人生いいのではないか」論争である.

修士の研究を終えて一人旅に出かけたり,修士の最終発表等を終えて年度の終わりが近づいた時に完全に「燃え尽き症候群」に陥ったことを覚えている.そしてその時にとても手触りのある緩やかな希死念慮を心中に持ったことも鮮明に残っている.
(その当時のことは少しメモが残っていた)

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修士での研究を通じて夢の1つを乗り越えた自分にあとは何が残っているだろうか.
これが,今年の自分を動かす上でとても重要な問いになっていった.

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今を語る

博士課程の研究に移行していくにあたって,研究方針・研究内容をどうするかということは当たり前だが最も重要な案件である.
当然,ホログラム関連の研究を継続していく選択肢もあったが,この研究分野でやっていった先の行き着くところはStanfordのGordonラボ等を目指し,その後Appleや旧Facebook Reality Labに行くというものになるのだろう,という未来が見えてしまって,あまり乗り気にはなれなかった.

そこで,ホログラムのような自分にとっての「技術的な」夢ではなく,芸術等に対して抱くような「感性的な/美的感覚的な」夢にあたろうと思ったのである.(これは自己同一性の問題にも繋がる.自分じゃないとやらないことに取り組みたい,そうでなければ意味がない,という心持ちだ)
そうして,カメラや照明,といった分野が今後の長い人生で携えていく大きな興味対象となったわけである.

特に,照明(ライティング)については思い入れが深い.↑のインタビュー記事でも触れているが,筑波大に編入する前の半年間,フリーター状態だった期間にアルバイトをした時の経験が今でも強く残っている.
所属期間中にゆるい学生コンペにも出たりしたが,最後に辞める時だったか年末の忘年会の時だったかに,設計事務所のボスに「君には新しい観点から照明には取り組んでほしい」という旨の言葉をかけられたことは今でも覚えている.
残りの人生で,大きな括りでやりたいことは多分これくらいなんだろうな,と思うから,頑張っていきたい.

余談であるが,博士課程で研究テーマを変えるというか,1つの研究分野としてのストーリーラインを目指すことは価値があると思っての行動である.
何人かの身近な,尊敬できる研究者を見てみても,Ph.D Studentの期間の研究はただの修士の延長でなく,何か自分の領域を作る上での研究に見える.
https://scholar.google.co.jp/citations?hl=ja&user=obhH0jkAAAAJ
https://scholar.google.co.jp/citations?user=DJhwElAAAAAJ&hl=ja&oi=ao
https://scholar.google.com/citations?user=dhPGPoIAAAAJ&hl=en
自分がそうなれるかどうかは別としても,そうなりたいのであれば,そうするべきだと考える.

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冒頭にも書いたが,修士の間自分を支配していた考えは,
「何を考えたかではなく,何を作ったかで自分を示せよ」
であった.そのため,今自分は何を考えていて,何を目指しているかということをほとんど書いてこなかった.
しかし,博士課程に入り,申請書や博士課程中の研究構想を描いていく中では,再度,自分が何を考えており,どんな未来を夢見ているのかについて語る能力が必要とされているように感じている.
そして,目標に向かう上で,共感してくれる仲間を増やし,より大きなことを成し遂げられるチームを作るためにも,夢は語らなければならないのだとも思うようになった.

今はまだ全てを書くことはできないが,1つ言えることがあるとすれば,
キーとなるのは「光のデザイン」であるということだ.
カメラによる撮影において,人が体験する空間において,光をどうデザインしていくか(デザイン可能とするか,それを支えるハードウェア自体もどうするか),ということに対して,答えが出せるような研究を行っていけたらと思う.
研究が色々と芽を出し始める頃に,改めて色々と語れたらいいなと思う.

そんな未来のためにも,まずは良いお年を.
残り少ない今年も,それから来年も.無事に頑張っていきましょう.

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