「川の水=澄んでいる」と思うのは日本だけ!? 世界の茶色い川に秘められたナゾとは?
森を流れる茶色い〝血液〟
雨のあとの林床を踏みしめると、茶色の水が滲み出す。茶色の正体は溶存有機物と呼ばれ、アミノ酸や有機酸などの馴染みのある物質から、得体(えたい)のしれない高分子芳香族化合物(たとえば、お茶に多いタンニン)まで、水に溶けた有機物の総称である。
身近なところでいえば、お茶や昆布ダシに色をつけているのも、溶存有機物である。自然界での溶存有機物のもとは落ち葉や根っこである。落ち葉のセルロースが分解されると、透明なグルコースになる。グルコースは甘くて美味しいので、すぐに微生物によって分解されてなくなる。
一方、リグニン(木質成分)から滲み出す茶色い水は、芳香族化合物を多く含み、渋くて苦い。微生物が分解しようとしても数年かかる。分解されて二酸化炭素になる前に、その一部が、雨とともに土の中へと浸透していく。溶存有機物は土の中を流れ、やがて粘土に沈着し、植物根や微生物の残骸とともに数百年も分解されず残る。これが、土を黒色や茶色に染める腐植となる。
森のエキスともいえる溶存有機物は、リンや窒素、カルシウムなどの栄養分を運搬する、血液のような働きをしている。森の〝血液〟は茶色だ。カナダ北部の大河・マッケンジー川の上流域で巨大な滝の名所を訪れると、日本との違いに驚かされる。フェンスがない。そして、川の水が茶色をしている。
日本で川の水といえば、「石清水(いわしみず)清き流れの 絶えせねば」という『千載和歌集』の能蓮法師の歌のように、澄んだ水をイメージしやすい。ところが、日本の常識はしばしば世界の非常識となる。
北欧やカナダ北部の河川水の多くは茶色をしている。ここには、悠久なる大地の歴史と、現在の微生物の働きが関わっている。日本との違いは、平坦な地形と、湖や湿地の多さである。
今から1万年前、カナダ周極域では、大地を覆った氷河が後退しはじめた。行き場のなくなった氷河の融解水は平坦な地形にたまり、湖や湿地を形成した。こうしてできた湿地帯の針葉樹林の下には、数千年かけて泥炭土が形成された。
北極海に流れ込むマッケンジー川は、流域に広がる泥炭土の溶存有機物を溶かし込んで茶色になる。この流域に広がる泥炭土では、酸素が少ないために微生物による分解がさらに遅く、溶存有機物が食べ残される。この〝食べ残し〟の溶存有機物を集めながら、川が流れる。水道の飲料水さえ茶色いことが多い。もちろん、紅茶ではなかった。
日本で澄んだ水を使えるのは、水道局の努力だけではない。日本に多い火山灰土壌は、吸着力の強い粘土(アロフェン)が多く含まれる。この成分が、溶存有機物の99パーセントを数分で吸着する。土壌を通過すると有機物がろ過され、透明な水が放出される。地形も急峻で水もたゆむことが少ない。火山灰土壌のおかげで、私たち日本人は透明な飲料水を利用できる。
失望の川は希望の川へと
「森は海を育てる」という言葉は有名だが、一説では、溶存有機物に結合した鉄(フルボ酸鉄)が山から運ばれ、海の生き物たちを育むと考えられている。「森は海の恋人」であるなら、溶存有機物は森からのラブレターといえるかもしれない。先ほど紹介したマッケンジー川の溶存有機物は北極海に流れ込み、栄養分を届ける。
その栄養分の源こそ、土である。マッケンジー川の流域には、泥炭土や永久凍土がある。泥炭土からは溶存有機物が滲み出し、夏には、水田の泥のようになる永久凍土からリンや鉄も溶け出す。
大地からの恵みを受けた北極海には、短い夏、太陽が沈まない白夜が訪れる。鉄やリンといった養分と光を受けて、植物プランクトンが大繁殖する。次に、それを食べるオキアミが大増殖する。これを目当てに、クジラや渡り鳥が北極海を目指して集まってくる。
いのちの連鎖が、短い夏のにぎわいを引き起こす。ホッキョクグマ、セイウチ、ホッキョクアザラシのいのちを育む栄養分の運搬には、陸域から放出される溶存有機物も一役買っているのだ。
マッケンジー川は18世紀、スコットランド出身の探検家アレクサンダー・マッケンジーがカヌーで踏破したことにちなんで名づけられた。毛皮貿易のルートを確保するために太平洋を目指して冒険の旅に出たが、到達したのは北極海だった。
彼はがっかりするあまり、「失望の川」と名づけた。今は発見者の名前にちなんでマッケンジー川として親しまれ、北極の生き物たちにとっては溶存有機物と栄養分を運ぶ希望の川となっている。
※本記事は『大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち』(山と溪谷社)を一部掲載したものです。