埼玉県川越市福原地域の開拓の歴史
埼玉県川越市福原地域の開拓の歴史
私達の住んでいろこの福原のあたりは千年以上もの昔から「草原の武蔵野」とよばれ、水がなく人の住めないぼうぼうたる原野だったのです。
いまから三百七十年ほど前の江戸時代になりますと江戸を中心として人々が増えて来ました
米ばかりでなくいろいろな作物が必要になってきました。
そのためには、畑を開発することも大切なことになってきました。
そのようなときに、川越城の城主(殿様)になったのが松平伊豆守信綱という人でした。
一六三九年の事です。信綱は川越の町づくりに力をそそき、丁字路や曲がり角などをつくったり、札ノ辻を中心として町を作ったりしました。信綱はそれまでにもいろいろなところでむずかしい工事などをてがけ、人の考えつかないような工夫などもして成功させたので、人々から「知恵伊豆」と呼ばれていました。
ある秋の日のことでした。
信綱は久しぶりにおおぜいのお供を連れて武蔵野の原へたか狩りにでかけました。
空は青くすみわたり、西のほうには秩父の山々がくっきりとみえるそんな日でした。