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わたしはお前に立ち向かう:聖書をめぐる旅 6/30
6/30(木)
エルサレムを雲のように覆うゴクの連合軍に対して、主なる神様はご自身が立ち向かうと宣言されています。また、故郷の都を失い捕囚となっている民に対して、新しい神殿のビジョンを与えてくださるのも、主なる神様です。
エゼキエル書39章
1人の子よ、あなたはゴグに向かい預言して言いなさい。主なる神はこう言われる。メシェクとトバルの総首長ゴグよ。わたしはお前に立ち向かう。 2わたしはお前を立ち帰らせ、お前を導いて北の果てから連れ上り、イスラエルの山々に来させる。 3そして、お前の左手から弓を叩き落とし、右手から矢を落とさせる。
9イスラエルの町々に住む者は出て来て、もろもろの武器、すなわち盾と大盾、弓矢、棍棒、槍を火で燃やす。彼らはそれで七年間火を燃やし続ける。
12イスラエルの家はその地を清めるため、七か月の間彼らを埋める。 13その地のすべての民は彼らを埋め、わたしが栄光を受ける日に民はその名を知られるようになる、と主なる神は言われる。
28わたしは彼らを国々に捕囚として送ったが、自分の土地に集めて、もはや、かの地には残さない。そのとき、彼らはわたしが彼らの神、主であることを知るようになる。 29わたしは二度とわが顔を彼らに隠すことなく、わが霊をイスラエルの家に注ぐ」と主なる神は言われる。
→ここで主によって討たれたゴクの軍勢の武器は、7年間燃やし続けられることと、イスラエルは、彼らを埋めるために7か月を費やすとあります。
キリストが再臨する7年前が大患難時代になりますから、少なくとも、エゼキエル戦争が始まるのは、大患難時代の前が想像されます。ある方は、大患難時代の3年半前にエゼキエル戦争があり、大患難時代の後半の入り口には、その武器を燃やすのが終わっていると考える方もいます。また、ある方は大患難時代の前にエゼキエル戦争があり、大患難時代ボツラに逃げたイスラエルの民にが、このエゼキエル戦争で残った戦争の武器やエネルギーをつかって、大患難時代を生き延びると語る方もいます。
大切なことは、神様が守ると語られた場所は、何が何でも守られるということです。
エゼキエル書40章
3主がわたしをそこへ連れて行くと、その姿が青銅のように輝いている一人の人が門の傍らに立っており、手には麻縄と測り竿を持っていた。 4その人はわたしに向かって言った。「人の子よ、自分の目で見、自分の耳で聞き、わたしがこれから示す、すべてのことを心に留めなさい。あなたがここに連れて来られたのは、それを示すためです。あなたが見ることを、すべてイスラエルの家に告げなさい。」
5見ると、神殿の周囲を囲んでいる外壁があった。その人は六アンマの測り竿を手に持っていた。ここでいう一アンマは、普通のアンマに一トファを加えた長さである。彼がその壁を測ると、その厚さも、高さも一竿であった。
→この節は、麻縄と測り竿を持った天使が、神殿をつくる寸法をくわしく伝えてくれています。エルサレムが破壊されてから14年の年、エゼキエルが捕囚とされている時期に、示された新しいエルサレム神殿のビジョンです。今日、ビジネス用語でミッション・ビジョンという言葉をよく耳にしますが、将来の景色、それも神様が与えてくださる景色がビジョンだと思いました。幻のない民は滅びる・・・とあるように、かつての都が失われ、故郷を追われたユダヤの人々に、神様は希望を新しい都の景色として与えてくださっています。これを信じて前進することが信仰の歩みなのではないか、と思わされました。