「正しい者はいない。一人もいない。」ローマ書2章3章~ちょびっと聖書 a little Bible
12/11(日)
<気づき>
ローマ書2章
・3このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。
・ 6神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
・13律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。
・ 29内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。
パウロは、外面上の割礼ではなく、霊によって心にほどこされた割礼、すなわち内面から主にしたがっている重要性を語っています。
ローマ書3章
・9では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。 10次のように書いてあるとおりです。
「正しい者はいない。一人もいない。
11悟る者もなく、
神を探し求める者もいない。
12皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行う者はいない。
ただの一人もいない。
・20なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
・ 22すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。 23人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、 24ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
・27では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
パウロは、私たち人間の存在を正しい者は一人もいないと語っています。ある意味人間同士目くそ鼻くそを笑う世界ではなく、神様の目から見てどうかという尺度で語っています。残念ながら、神様が与えてくださった最低限の律法すら私たちは、守ることのできない存在です。ただ、唯一の道として、イエスキリストを信じることで得られる神の義だけです。誇るならイエスキリストを誇る、という世界です。
<祈り>
・人間の世界で軽くみられる時、ないがしろにされる時、非常な痛みを感じますが、イエス様あなたがその侮蔑も痛みもすべて十字架で担ってくださっていることを感謝します。それゆえ、私はこの苦々しいモノを持ち続けず、神の愛で心を満たせることを感謝します。
イエス様の愛を伝えるかかわりができるように、聖霊様導いてください。
~ちょびっと聖書 a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
※神様、イエスキリスト、そして自分のことを見つめなおす「4つの法則」をご案内します。 https://www.japanccc.org/4sl/