「すべて神の栄光を現すために」Ⅰコリント10章11章~ちょびっと聖書 a little Bible
1/4(水)
<気づき>
Ⅰコリント10章
・ 2皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、 3皆、同じ霊的な食物を食べ、 4皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。
・23「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。 24だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。
・31だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。
イスラエルの民は、紅海と荒野の旅をとおして、洗礼をうけ、霊的な食べ物、命の水を飲んだにも関わらず、文句を言っていた世代は、次の場所に進むことが出来ませんでした。偶像礼拝を避け、神様との関係をまっすぐにすることの大切さを語っています。すべては、神の栄光を現すために。
Ⅰコリント11章
・1わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。
・3ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。
・26だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
・27従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。 28だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。
パウロは、自分に倣いなさいと語っています。教えだけでなく、生き方としてキリストと共に歩む方法を伝えています。特に注目しているのは、聖餐のパンとぶどう酒を通して、主の死を告げ知らせるということ。ある意味このパンとぶどう酒を受け入れるとは、この世に対する死を受け入れていることでもあります。
<祈り>
・エジプトから脱出したイスラエルの民の歩みから私たちは学ぶことがあります。それは、どんなに選ばれた民族であっても、忌まわしい行いすなわち偶像礼拝の罪を神様は受け入れることはできないことです。約束の地に入ったのは、罪を犯していない次の世代でした。また、私たちはキリストの手本、パウロの手本に学び、神の栄光のために生きる恵みが与えられています。私たちに命が与えられるために、主は死なれた。そのことを覚える行為として聖餐式があることを感謝します。私たちの歩みは、自分のものではなく、主のものであることを感謝します。
~ちょびっと聖書 a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
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