弓と矢を取りなさい:聖書をめぐる旅 11/17
11/17(水)
列王記下13章は、敵の攻撃に打ちひしがれた王が、エリシャの元に来て、預言的な行動をとるように促されます。
詩編66篇は、私たちが語るべきことが示されています。
列王記下13章
15エリシャが王に、「弓と矢を取りなさい」と言うので、王は弓と矢を取った。 16エリシャがイスラエルの王に、「弓を手にしなさい」と言うので、彼が弓を手にすると、エリシャは自分の手を王の手の上にのせて、 17「東側の窓を開けなさい」と言った。王が開けると、エリシャは言った。「矢を射なさい。」王が矢を射ると、エリシャは言った。「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを撃ち、滅ぼし尽くす。」
→エリシャが言ったのは「矢を取りなさい」ではなく、「弓と矢を取りなさい」であることに注目しました。
アラムの攻撃にやられエリシャの元に来たイスラエルの王ヨアシュに、武器を持つようにエリシャは言っています。
これは、戦いを恐れるな!立ち上がれ!という鼓舞の言葉に聞こえます。
そして、「弓と矢を取るように」とはこの武器の2つの側面、弓だけでも、矢だけでも駄目で、弓と矢が両方あることによって、この武器は相手への脅威となります。東の窓を開けて、矢を射るように言われ、イスラエル王が放つと、「主の勝利の矢。あなたはアラムを撃ち、滅ぼし尽くす」という預言をいただきます。
主の矢とは、御言葉のことを意味するという方もいます。
すなわち、「弓」と「矢」は、「御言葉を発する人」と「神様の御言葉」を意味しているように思います。
御言葉は、文字として本になっているだけでなく、人によって発せられることによって、力を成すものです。
「人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」(ローマ10:10)
しかし、この後エリシャに勝利の矢を地に射るように言われたイスラエルの王は、3度で矢を撃つことでやめてしまい、エリシャに怒られます。
ここからは、「私たちも、御言葉を宣言することを躊躇していないかい?」という主の問いかけを感じます。
主の勝利の矢は、三度ではなく、五度、六度と射るべきものです。
詩編66編
6神を畏れる人は皆、聞くがよい
わたしに成し遂げてくださったことを物語ろう。
17神に向かってわたしの口は声をあげ
わたしは舌をもってあがめます。
18わたしが心に悪事を見ているなら
主は聞いてくださらないでしょう。
19しかし、神はわたしの祈る声に耳を傾け
聞き入れてくださいました。
20神をたたえよ。
神はわたしの祈りを退けることなく
慈しみを拒まれませんでした。
→
「成し遂げてくださったことを物語ろう」という御言葉に目が留まりました。年末になると、神様が私たちにしてくださったことを数えるのが楽しみの一つです。今年は、こんなことがありました。
・私は春から新しい職場で、子どもの幸せと地域づくりに関わる仕事にかわりました。
・職場のコロナ禍対応でも、力を合わせて適切な対応をすることができました。
・今、仕事をしている仕事仲間との関係が良好で、ファイトが湧いてきます。
・チャレンジを与えられ、このnoteへの投稿も連続100日以上(聖書を旧約1節、新約1節を読み進める通読)となりました。イエス様のことを証する機会が与えられ感謝です。
・コロナウイルスから家族も守られ、生活も守られました。
・20数年ぶりに富良野時代の仲間とZOOMでつながることができました。
・施設にいる母の体調が守られ、元気が回復してきました。
・どんな状況にあっても、心から神様を強力に賛美する兄弟姉妹が与えられています。
・ユースクラスの学びが、メンバーの知恵を出し合い新しい形で続いています。
・「わたしはあなたを国々の光とし わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。」という御言葉が与えられています。
こう考えてみると、神様が与えてくださったこと、守ってくださっていることに感謝しかありません。求める前に、「成し遂げてくださったことを物語ろう」
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