あなたがわたしを捨てたので:聖書をめぐる旅 1/9
1/9(日)
レハブアム王が律法を捨て、自分勝手な道を歩み始めると、とんでもない数のエジプトの軍隊がやってきて、次々とイスラエルの町を落とし、エルサレムも包囲されてしまいます。
詩編119編は、なかなかの長さですが、3つの視点(旅人、苦しみ、足のともし火)から考えてみました。
歴代誌下12章
8ただし、彼らはシシャクのしもべとなる。わたしに仕えることと地の諸王に仕えることの違いを知るためである。
12王がへりくだったとき、主の怒りは彼を離れ、主は徹底的に滅ぼすことはされなかった。ユダにも良いことがあったのである。
14彼は悪事を行った。心を定めて主を求めることをしなかったのである。
→レハブアムの王位が確立した後の話です。彼は強くなると、主の律法を捨てたとありました。
そこにエジプトの王シシャクがエルサレムに攻めてきました。戦車1200台、騎兵6万人、その他の兵が数えきれないほど。
預言者シェマヤがレハブアムの元に来て「あなたがわたしを捨てたので、私もあなたを捨て、シシャクの手に渡した」という言葉を告げます。
この時、はじめてイスラエルの首長たちと王はへりくだり「主は正しい」と言いました。
その後の南ユダは、それまでの宝物も奪われ、エジプトのしもべとなります。
主は語ります
「わたしに仕えることと、地の諸王に仕えることの違いを知るためだ」と。
私たちは、誰かに仕える存在です。会社組織にいれば上司に仕える。人に仕えるのがイヤで会社をおこした人も、実はお客さんに仕えています。「親分はイエス様」という映画がありましたが、私たちはこの世の人に仕えているようでいて、神様に仕えています。私たちがこの世の人に仕えるのは、親分が自分に仕えるようにこの世の人にも仕えなさいと、お手本を示してくださったからです。どんな小さなことでも、自分のためにしたことは賞賛には値しません。しかし、他者のためにしたことは、ほめられます。さらに、神様のためにしたことは、天で歓声があがります。
詩編119編
1幸いなことよ
全き道を行く人々
主のみおしえに歩む人々。
19私は地では旅人です。
71苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。
105あなたのみことばは、私の足のともしび
私の道の光です。
133みことばによって 私の歩みを確かにし
どんな不法にも 私を支配させないでください
→
今日の詩編は久々に長いです。
「私は地では旅人です」というフレーズが最近私の中でも、聞こえてきています。
「私はこの地に属するものではなく、天に属するものである。
それゆえ、この地の理不尽や艱難に左右されることはない」、と。
しかし、私は御国のグッドニュースをお伝えする役割、天のお父様との和解を勧める役割があります。
「我が国籍は天に在り」マタイ20章
また、苦しみの意味が書かれています。苦しみを通して学ぶ姿勢があれば、それはただの苦しみに終わらず、その後への糧になります。そうすると、楽しい時も、苦しいときも、ハレルヤ!です。
最後に、あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光とあります。私たちは、たいてい経験によって考える者です。また、他者の意見で左右されることもあります。習慣から、毎回同じことをしているかもしれません。しかし、聖書を知る私たちは、神様の御言葉をともし火として、歩む恵みがあります。
今日、この文章をご覧いただきありがとうございます。この世の価値観とはまた違う、神様が示されるされる旅を、ぜひご一緒しましょう!
(参照:聴くドラマ聖書 https://bible.prsi.org/ja/Player)