あとは、実行するだけ:聖書をめぐる旅 12/27
12/27(月)
今日は、昨日の疲れが取れず眠気との戦いの中で書いています。
クリスマスプレゼントでいただいたヨーカンが、元気の源として後押ししてくれています(感謝です!)。歴代誌上28章は、人間味豊かなダビデ、父親としてのダビデに注目してみました。詩編106編は、神様に反抗し続けたイスラエルの民のことを、神様がどう見ていたのかに思いを寄せてみました。
歴代誌上28章
4イスラエルの神、主はわたしの父の全家からこのわたしを選び、とこしえにイスラエルの王となるようにされた。主はユダを指導者として選び、そのユダの家の中でわたしの父の家を選び、わたしの父の子らの中でこのわたしを全イスラエルの王にすることをお望みになったからである。
19「これらすべては、主の御手がわたしに臨んで記されたもので、計画された工事の全貌を理解させてくれる。」
20こうしてダビデはその子ソロモンに言った。「勇気をもって雄々しく実行せよ。恐れてはならない。おじけてはならない。わたしの神、神なる主はあなたと共にいて、決してあなたを離れず、捨て置かず、主の神殿に奉仕する職務をことごとく果たさせてくださるからである。
→ダビデの人気は、戦に強いこともありますが、人間的な魅力かと思いました。自分が神様に選ばれなかったことを、すべてのイスラエルの長子を集めて告白しているのが、この章の最初です。
自分が選ばれなかったことを、高らかに宣言するのはなかなかできることではありません。
わたしなら、そっとしておいてほしいと思ってしまいます。
しかし、ダビデは
自分は、神様に選ばれませんでした、しかし息子ソロモンが選ばれた、と宣言しています。
ここからは、父ダビデに感情移入をしてしまいますが、自分が亡き後、
「負けるな。神様がついているぞ!」と励ましています。
「この大事業をするために必要な準備は、すべて整えた。」
「後は、お前が投げ出さずに実行するだけだ」、と。
父親、母親というのはありがたいもので、子どもが挑戦したい!というと、なんとか機会や条件を整えようとしてくれるものです。
私も、父と母の支えの中で進学させてもらった者です。
今、天のお父ちゃんに思いをはせて、みますと、
「イエスキリストの十字架の贖いはすべて完了した。」
「あとは、このグッドニュースを伝えることだけだぞ!」
そんな風に言っているような気がします。
詩編106編
7わたしたちの先祖は、エジプトで
驚くべき御業に目覚めず
豊かな慈しみに心を留めず
海辺で、葦の海のほとりで反抗した。
43主は幾度も彼らを助け出そうとされたが
彼らは反抗し、思うままにふるまい
自分たちの罪によって堕落した。
44主はなお、災いにある彼らを顧み
その叫びを聞き
45彼らに対する契約を思い起こし
豊かな慈しみに従って思いなおし
46彼らをとりこにしたすべての者が
彼らを憐れむように計らわれた。
→エジプトで、荒れ野で、イスラエルの民が反抗した時に
神様は、「幾度も助け出そうとされた」とあります。
どれだけ、イスラエルの民は神様に反抗したのでしょうか?
荒れ野の40年を超えられたのは、あのヨシュアとカレブだけでした。
それ以外のイスラエルの民は、すべてこの荒れ野で滅んでしまいました。
こう考えると、神様の道は狭い道だと思いました。
そこは、力のある者や、権力のある者が通れるのではなく、
幼子のような信仰の持ち主が通れるのかもしれません。
ヨシュアとカレブは、カナンの地を偵察にいったときに、
敵がいかに巨大でも、神様と一緒なら征服できます!
できます!と言った二人でした。
主が一緒なら、できます!
私たちも、ヨシュアとカレブの信仰に倣うものになりたいです。