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プリムの祭り:聖書をめぐる旅 3/6

3/6(日)
 毎日の歩みが最近、ちょっと辛くなってきました。どこかで、記事を書くことが目的にすり替わってしまったのかなと思います。もう一度、原点にもどって、聖書の箇所から神様が何を語られているのか、それを表現することに注力しようと思います。エステル記はユダヤ人の大逆転、箴言からは相手に伝える時のポイントを学びました。

エステル記9章

1第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、この王の命令と定めが実行されることとなった。それは敵がユダヤ人を征伐しようとしていた日であったが、事態は逆転し、ユダヤ人がその仇敵を征伐する日となった。

 12月13日、ユダヤ人が殺される予定だった日、王の新たな勅令が実行されました。スサの町でユダヤ人によって殺された人数は500人、そしてハマンの息子10人。さらに、王の承認を得て、スサでは14日にもユダヤ人の敵が殺され、その数300人。
諸国では、ユダヤ人の敵75,000人が殺されました。
ユダヤ人がどれだけ多くの敵の迫害の中にあったのかを物語る数字です。

 翌日の、12月14日は諸国では祝宴と喜びの日となり。
スサの町では、15日が喜びの日となりました。
この14日と15日は、プリムの祭りとして、敵に大逆転したことにちなんで、お祭りが開かれています。。
大逆転というと、救い主イエスキリストが十字架につけられたことを思います。救い主として生まれ、数々の奇跡をおこなった人が、人間の手によって十字架につけられる。これほどの、屈辱、そして救い主の敗北は、ありません。悪魔は喜び、人間たちは落胆したでしょう。
しかし、神様の計画は悪魔も、人間である私たちをもはるかに超えています。
キリストの十字架の死に私たちも含まれることによって、私たちは罪の支配から救い出されたのです。
死によって、罪から救うという神様の計画は成就しました。
 Wikipediaでプリムを調べると、2022年はプーリームが3月17日となっています。苦難からの解放は、イエスキリストの十字架と復活を思わせる神様の恵みを喜ぶときです。

箴言25章

11時宜にかなって語られる言葉は
銀細工に付けられた金のりんご。
12聞き分ける耳に与えられる賢い懲らしめは
金の輪、純金の飾り。

 私たちは、人に何かを伝える時に、どんなことをどんなふうにつたえたらよいか考えます。しかし、ここで焦点があたっているのは、時宜すなわち、タイミングです。

 コロナ禍で、極端に減ったのがみんなで歌を歌うことです。昼のカラオケでクラスターになったのが原因かもしれません。しかし、みんなで歌を歌うことは、息をあわせること、相手のタイミングをあわせることを体感することだと思います。人とタイミングを合わせることはスポーツの中でもあります。バスケットボールでも、よいアシストをもらって、シュートを打てた時は、結果もついてきます。脳の中ではオキシトシンが活性化されている状態でしょうか。

 よかれと思ってかけた言葉が、銀細工に添えられる金のりんごになるか、銀細工に不釣り合いな掛け軸になるか、相手にとってのタイミングを見ていきたいと思いました。


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