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組分け:聖書をめぐる旅 12/23
12/23(木)
12月23日はもう祝日ではないのですね。
今日の札幌は朝から積雪で道路が込み込みでした。
歴代誌上24章からは、チームでリーダーが育つことを。
詩編102編は、マイナス思考からどう抜け出すかを考えてみました。
歴代誌上24章
4家系の長の数はエルアザルの子らの方がイタマルの子らより多いことが分かったので、エルアザルの子らは十六人の家系の長に従って、イタマルの子らは八人の家系の長に従って組に分けた。 5エルアザルの子らにもイタマルの子らにも聖所の長と神の長がいたので、彼らはくじによって組に分けられた。
19このように彼らはその奉仕に任命され、イスラエルの神、主がお命じになったように、先祖アロンによって伝えられた法に従って主の神殿に入った。
→神様に仕える役割が24人のリーダーによる組に分けられました。
組ごとに神様に仕える働きをするというのは、複数の人が力をあわせることで、責任ある役割を果たすことができるという訓練かとおもいました。
私の職場では、子どもたちのリーダーがどうやったら育つかという話がよくでてきます。その子が言うとみんながそうしようという影響力のあるリーダー、自分の考えだけでなくみんなの意見を聞いてその時有効なアイデアを決められるリーダー等々、大人でもできないようなことを子どもたちに求めてしまいがちです。大人の勝手で、リーダーの素質のあるカリスマリーダーが現れないかなあと考えがちです。でも、私は小さなグループの中でリーダーの体験をした人が、次のリーダーになっていくと思います。一度やったことのある人が、次の機会もリーダーをやり、それが繰り返されることですばらしい才能が開発されるのだと思います。
組で働きをすることで、一人の能力だけでなくチームとして学び合い、力を発揮することができます。私たちがキリストの体の一部であるという御言葉もあり、私たち人間が力をあわせて一つの仕事をするように作られていることがわかります。そう思うと、一人ですべてをすることから解放されます。
詩編102編
わたしの生涯は煙となって消え去る。
骨は炉のように焼ける。
5打ちひしがれた心は、草のように乾く。
わたしはパンを食べることすら忘れた。
6わたしは呻き
骨は肉にすがりつき
7荒れ野のみみずく
廃虚のふくろうのようになった。
8屋根の上にひとりいる鳥のように
わたしは目覚めている。
→かなりのマイナス思考となっています。
詩編では、非常に人間的な嘆きや叫びがでてくるため、
現代にも通じることがたくさんあります。
究極のマイナス思考の人が、前向きになるにはどうしたらいいんでしょう?
この102編の最後では、
プラスの方に気持ちが触れています。
この転換点は何でしょう?
自分を見つめている時には、マイナスしか出てきません。
転換点は、
「主よ」と、目を天に向けたときからです。
自分がどんなに、みじめでも神様はどんな方なのか、
神様に焦点をあてると自分がかわります。
そして、神様にとって自分がどんな存在かを知ると不思議と力がでてきます。
「主を賛美するために民は創造された!」
私たちは、目的をもって命が与えられた存在です。
さあ、自己分析の次の段階に進んでみませんか?