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不幸もいただこう?:聖書をめぐる旅 3/9
3/9(水)
全身が重い皮膚病にかかっても、ヨブの神様への信頼は揺るぎません。その源泉は、どこにあるのでしょうか?箴言は、罪をおかしうる存在であることを受け入れることを、考えさせられました。
ヨブ記2章
7サタンは主の前から出て行った。サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。 8ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。
9彼の妻は、
「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言ったが、 10ヨブは答えた。
「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」
このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。
霊の世界でどんなことが行われているかわかりませんが、
今日の聖書箇所からは、病の背後にサタンが手を下しているケースがあることがわかります。
何も悪いこともしていないヨブが、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかかった、とあります。
私の場合、痛みはまだ我慢することができますが、かゆみはどうしようもなくつらいものです。はずかしながら、蕁麻疹がでてあまりのかゆみに、救急病院にお世話になったこともあります。
全身の皮膚病にあってもヨブの姿勢は、驚くべきものです
「神様から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうじゃないか!」
ヨブの神様との霊的なそのつながりが、ヨブの一方的な信頼だったのか、双方向の交わりだったのかはわかりません。ただ、ヨブは自分の目に見えること以上に、自分の人生に創造主なる神様の権威を認めていることが伝わってきました。
箴言28章
21人を偏り見るのはよくない。
だれでも一片のパンのために罪を犯しうる。
自分が罪をおかしうる者であることを自覚することは、大切だと思います。
お世話になった牧師先生も、浪人時代はパチプロのような生活をして、
イエス様に出会わなかったら、何をやっていたかわからない・・・と
話していたことを思い出しました。
私自身も、札幌での生活をはじめたころは、人生のどん底をどこまで
転がり落ちるのだろうかと、思ったこともありました。
転がり落ち始めると、自分の自信もなくなるので、とめどもなく落ち込む可能性があります。
世の中に、罪を犯す人が新聞やニュースで取り上げられますが、
ひょんなことから、自分がそういうことをしてしまうかもしれない存在であることを認めます。
私が、立ち直れたのは、神様が自分のことを愛してくださり、信じてくださっていることを知ったからです。
決して自分の力ではありません。
自分では自分を信じることはできませんでしたが、信じてくれる人が一人でもいれば、それに応えようとするのが人間です。
こんな自分のためにも、イエス様は命をかけてくださったことを感謝します。