幸福とは何か:聖書をめぐる旅 3/18
3/18(金)
ヨブ記はツォファルという人がヨブに助言をしています。
彼の語ることも、正しいことですが、ヨブにとってはあなたは間違った方向で考えているよ!というメッセージに伝わっているようです。コヘレトの言葉は、哲学的な問いになっています。
ヨブ記11章
正しい方向の思いとは、どんな方向でしょうか?
あなたが正しい方向にむかっているなら、人生は真昼より明るくなるとツォファルは助言しています。
バスケットボールなら、あなたのシュートフォームはいいが、ねらいの方向がまちがっているというイメージです。
直線的にリングを狙うのではなくて、アーチをつけてリングにのせるイメージで・・・というのがシュートのコツです。
ツォファルが言う正しい方向とは、神様に向かう方向のことのようです。
よく私たちは、救われる前は神様に背を向けていたと言います。しかし、神様に向き合ったときに、本当に人生がよくなる。ああ、たしかに私たちは、他の方々にそう語ります。でも、神様に向かうってどっちを向けばいいのか?それも伝えずに、正しい方向を向いていない!と指摘しているんじゃないかなあ・・・と自分を反省しました。
コヘレトの言葉6章
哲学的な御言葉です。
幸福とは、何か?
それは、一生追い続けるものだという人もいます。岡本太郎は、「幸せ」という言葉よりも、「歓喜」という言葉を好んでいました。坂本九ちゃんの「幸せなら手をたたこう」という歌が、変に悲しくなって・・・という話を語っていました。仕事で「福祉」という言葉を調べたときも「しあわせ」「幸福」という意味があり、幸せの意味を決めなければ、何をしたらいいのかわからないという状況でした。「幸せ」は、実はいろいろなところに転がっています。家族と食事をした時、雪道の1車線の道路を譲ってもらった時、あったかい風呂に入った時。聖書に出会ってからは、自分のアイデンティティにつながる御言葉に出会った時、そしてその言葉の向きに自分が歩んでいることを実感できた時が、幸せだと思いました。
ハレルヤ!今日も感謝します。