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お前は誰を頼みに:聖書をめぐる旅 11/22

11/22(月)
列王記下18章 今日の聖書箇所は神の民に対する冒とくです。「シャケ好き」かどうかわかりませんが、ラブ・シャケという敵軍の将が神の道をまっすぐ歩むヒゼキヤ王を馬鹿にしているシーンです。
詩編71篇は、キリストの内に隠されていることを思わされました。

列王記下18章
 
3彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、 4聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。イスラエルの人々は、このころまでこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである。

7主は彼と共におられ、彼が何を企てても成功した。彼はアッシリアの王に刃向かい、彼に服従しなかった。

19そこでラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王はこう言われる。なぜこんな頼りないものに頼っているのか。 20ただ舌先だけの言葉が戦略であり戦力であると言うのか。今お前は誰を頼みにしてわたしに刃向かうのか。


→今日の聖書箇所は、黙って聞いている訳に行かないくらい、冒涜の限りです。思わず、結末を知りたくて次の章まで読み進めてみました。
 しかし、まずこの章は、聖なる高台を取り除くヒゼキヤ王が南ユダに現れた章です。そして、隣国の北イスラエルは、さらに北のアッシリアの攻撃を受け、捕囚として連れ去られています。アッシリアの恐怖が、次に南ユダに脅威が迫っています。
 目の前に敵の大群が押し寄せて、今にも攻めようとしている時、どうしますか?自分の軍備や力を見て、他に助けを呼ぶ、相手と和解する、逃げる・・・いろいろな選択肢がありますが、この暴言を聞いた部下は、ヒゼキヤ王にこれらを告げます。そして、ヒゼキヤ王は、どうしたか?が明日の続きとなります。
 ここは、悪魔がイエス様を誘惑しているシーンを彷彿させます。この世の権力を握る悪魔が、神の子イエスキリストを誘惑する、いやおとしめようとしているように思います。これらは、イエスキリストだけでなく、クリスチャンに語られる偏見でもあると思いました。
 しかし、万軍の主は勝利の主であることを感謝します。

詩編71編

1主よ、御もとに身を寄せます。
とこしえに恥に落とすことなく
2恵みの御業によって助け、逃れさせてください。
あなたの耳をわたしに傾け、お救いください。
3常に身を避けるための住まい、岩となり
わたしを救おうと定めてください。
あなたはわたしの大岩、わたしの砦。

→この一見わがままに聞こえるような言葉が受け入れられているのは、
神様が私たちを瞳に入れてもいたくないような存在としてみておられるからだと感じました。
私たちは、神様よって、キリストの中に生きる者とされました。
私たちは、キリストを着ることによって、悪魔は私たちを攻撃することができません。
イエス様は、私たちの身を守る住まい、大岩、砦と表現されています。
まさしく、イエスキリストを悪魔は攻撃してくることができません。
私たちは、キリストの内に平安を得ることができることを感謝します。

「 3あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。」(コロサイ3:3)


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