マルコ7章 8章 ~ちょびっと聖書 a little Bible
7/18(日)
数日後に台風が来るという日曜日、どんよりした天気です。
イエスキリストが、弟子たちに自分が苦しみを受けて殺されること、3日後に復活するということを伝えます。イエスキリストの道は、十字架の道です。それは、人間を解放する神様の御心の道です。
<気づき>
マルコ7章
20更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。 21中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、 22姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、 23これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」
汚れた手を気にする祭司に対して、人の内側から出てくるものが人を汚すとイエス様は語っています。まさか、自分がけがれた存在だとは、誰もが気づかずにいた・・・ということ。
34そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。
「天を仰ぐ」に関連して、創世記15:5では、主はアブラハムに天を仰いで、星を数えるように言いました。「あなたの子孫はこのようになる」。天を仰いだイエス様は、何を見たのでしょうか?天にあるこの女の子の姿でしょうか?
マルコ8章
34それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 35自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
イエス様が、自分が殺されて3日後に復活することを語った後、それをいさめたペトロを叱った後の言葉です。イエス様は「神のことを思わず人間のことを思っている」と叱られています。確かに、イエス様の行動は自分のためではなく、ただひたすら天のお父様の御心を行うためであることをあらためて考えました。
38神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。
弟子の覚悟を問う言葉だと思いました。師の行く道は、神様が求める道、しかしこの世にあっては排斥されて殺される道。
<祈り>
ペトロを叱ったイエス様に、神の御心を行うために地上に来られたイエス様のミッションに対する堅い決意を見ます。同時に、私に従ってくるか?という問いを弟子にむけています。この世に迎合するか、神の国のために戦うか?私は、そでに命をイエス様に預けているものですから、喜んで十字架を背負ってついていこうと思います。主よ、感謝します。
今日、ちょびっと聖書を読んでくださった方に、神様の導きがありますように。イエス様のお名前でお祈りします。
~ちょびっと聖書 a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
※神様、イエスキリスト、そして自分のことを見つめなおす「4つの法則」をご案内します。 https://www.japanccc.org/4sl/