私にとって生きることはキリスト ピリピ1章2章
[ピリピ人への手紙 1:20,21,22]
私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。
私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。
→もはやパウロは自分を生きるのではなく、キリストを生きることを選択して実践しています。
[ピリピ人への手紙 2:3]
何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。
→人間関係を良くするヒントはこの御言葉にあります。そもそも、神様が作られたなら、どこかに素晴らしい才能があるはずです。
[ピリピ人への手紙 2:6,7,8]
キリストは、神の御姿であられるのに、
神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、
人間と同じようになられました。
人としての姿をもって現れ、
自らを低くして、死にまで、
それも十字架の死にまで従われました。
→キリストが自分の身分を捨て、へりくだってしもべの姿になり、私たちのために十字架についてくださいました。
主なる方がなさることに、私たちも習いたいと思います。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号
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