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わたしは二本の杖を手にして:聖書をめぐる旅 8/10

8/10(水)
札幌の朝は蒸し暑いです。ゼカリヤ書の後半に差し掛かりました。今日は「2本の杖」と「重い石」の話が出てきます。杖というと羊飼いの道具、石というと家を建てる者が捨てた隅石を思い出します。

ゼカリヤ書11章 

7わたしは屠るための羊を、羊の商人のために飼った。わたしは二本の杖を手にして、ひとつを「好意」と名付け、もうひとつを「一致」と名付けて羊を飼った。
10わたしは「好意」というわたしの杖を取って折り、諸国の民すべてと結んだわが契約を無効にした。
14わたしは「一致」というわたしのもうひとつの杖を折り、ユダとイスラエルの兄弟の契りを無効にした。
15主は更にわたしに言われた。「愚かな羊飼いの道具を取れ。 16見よ、わたしはこの地に羊飼いを起こす。彼は見失われたものを尋ねず、若いものを追い求めず、傷ついたものをいやさず、立っているものを支えもせず、肥えたものの肉を食べ、そのひづめを砕く。
17災いだ、羊を見捨てる無用の羊飼いたちは。
剣が、その腕と右の目に差し向けられる。
その腕は力を失い、右の目はかすむ。」

 ここでは、悪い羊飼いが出てきます。彼にあたえた2本の杖が神様によって折られたことが書かれています。杖というと、モーセがもっていた杖を思い出します。これは羊飼いの象徴であり武器でした。モーセがファラオの前で、杖を蛇にしたこともあり神様から遣わされた証でもありました。ここでは、羊飼いに与えられた2本の杖が折られたとあります。一つは「好意」一つは「一致」。神様の好意がなくなり、神様との一致がなくなったとき、羊飼いは自分勝手な行動をしていたことが想像します。十字架は縦の木が神様との関係、横の木が人との関係に例えられることがあります。神様との盾の関係に「好意」と「一致」があるとき、人々との関係にも「好意」と「一致」が生まれるのかもしれません。


ゼカリヤ書12章


3その日、わたしはエルサレムをあらゆる民にとって重い石とする。それを持ち上げようとする者は皆、深い傷を負う。地のあらゆる国々が集まり、エルサレムに立ち向かう。 4その日には、と主は言われる。わたしは打って出て、馬をすべてうろたえさせ、馬に乗る者をすべて狂わせる。わたしはユダの家の上に目を開いて、諸国の馬をことごとく撃ち、目を見えなくさせる。
8その日、主はエルサレムの住民のために盾となられる。その日、彼らの中で最も弱い者もダビデのようになり、ダビデの家は彼らにとって神のように、彼らに先立つ主の御使いのようになる。

 エルサレムを重い石とする、という箇所に目が留まりました。
人がかかえられるサイズの石でも、予想以上に石は重く持ち上がりません。
持ち上げても、動けません。周囲の国々は簡単にエルサレムを占領できると思って攻めてきますが、持ち上がらない重さがあるということでしょうか。
 エルサレムが神様によって守られるシーンはエゼキエル戦争を思い出します。エゼキエル書38章には、ゴグがイスラエルの地を襲う、その日のことが書かれています。イスラエルをゴグらの連合軍が取り囲むその時に、神様が立ち向かいます。最新の兵器、強い軍隊に対して、神様の業はさらにその上にあります。超自然的な勝利です。

'わたしは熱情と怒りの火をもって語る。必ずその日に、イスラエルの地には大地震が起こる。 海の魚、空の鳥、野の獣、地の上を這うすべてのもの、および地上のすべての人間は、わたしの前に震える。山々は裂け、崖は崩れ、すべての城壁は地に倒れる。 わたしはすべての山の上で、ゴグに向かって剣を呼び寄せる、と主なる神は言われる。人はおのおの、剣をその兄弟に向ける。 わたしは疫病と流血によって彼を裁く。わたしは彼とその軍勢、また、彼と共にいる多くの民の上に、大雨と雹と火と硫黄を注ぐ。 わたしは自らの偉大さと聖とを多くの国々の前に示す。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。'
                  エゼキエル書 38:19-23

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