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「主とは一体何者なのか」出エジプト記5章 6章~ちょびっと聖書  a little Bible

10/7(金)
 主に遣わされてファラオの元に行ったモーセとアロンは、主の言葉をファラオに伝えます。しかし、まったくファラオは聞く耳を持ちません。むしろ、イスラエルの人々が怠け者だから、主の祭りを行いたいというのだと決めつけ、イスラエルの人々にさらに苦役を強いることになります。
 モーセらは、主の元に行き、再び言葉を得てイスラエルの民に語りますが、彼らは重労働のために意欲を失ってモーセの言うことを聞きませんでした。それでも、主はモーセらにファラオの元に行って、イスラエルを去らせるように言えと言います。

出エジプト記5章 6章

<気づき>
・2ファラオは、「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えた。
 エジプトの王は、主なる方を認識していません。それゆえ、彼らを軽くあしらいます。

・ 17彼は言った。「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ。だから、主に犠牲をささげに行かせてくださいなどと言うのだ。 18すぐに行って働け。わらは与えない。しかし、割り当てられた量のれんがは必ず仕上げよ。」
 苦役を科したイスラエルの民から訴えがあった時の、ファラオの返答です。イスラエルの民は、なぜ労働条件がわるくなったのかわかりませんでしたが、この後モーセとアロンに会い、彼らの進言に怒ったファラオが苦役を科していることを知ります。

・6それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。
 モーセがイスラエルの民に語った言葉です。主の希望のメッセージです。ここで贖う、すなわち代価を支払うということが宣言されていますが、イスラエルの民は、聞く耳を持ちませんでした。

・12モーセは主に訴えた。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか。」
 モーセの苦悩がわかります。イスラエルに主の言葉を伝えても響かず、さらにファラオのところに行けと言っても、説得など無理です・・・。そんな心の声が漏れています。

<祈り>
 モーセは、エジプトの王というこの世の権力、そして民の希望のない心という2つの課題を前に、落ち込んでいます。主の名前を知らない彼らに、主の言葉を伝えても理解してもらえない、苦境の中にいます。彼にとっての助けは言葉をとりつぐアロンです。今日、キリストを信じる者に聖霊様が与えられていることを感謝します。私たちはどこに行っても一人ではありません。ともにおられる方が一緒で有ることを感謝します。この苦境から主がどのように道を用意してくださるか、そのことから知恵を与えてください。
 今日、ちょびっと聖書をご覧になった方に、主の希望がありますように。イエス様のお名前でお祈りします。

~ちょびっと聖書  a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
※神様、イエスキリスト、そして自分のことを見つめなおす「4つの法則」をご案内します。 https://www.japanccc.org/4sl/

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