自分の神と出会う備えをせよ:聖書をめぐる旅
7/21(木)
アモスは、イスラエルに対して警告しています。
人生に起こる困難は、神様に立ち返る機会として設定されていますが、かたくなにイスラエルの民は立ち返ることをしません。
神様に出会う備えについて、聖書の人物が神様にどのように出会ったのか振り返ってみました。
アモス書3章
アモス書4章
民が神様に出会ったシーンというと・・・
アブラハムは、創世記12章で神様の声を聞いて、故郷から旅立ちます。
モーセは、出エジプト記3章で燃える柴に近づき、エジプトから神の民を奴隷状態から解放するように命じられます。
新約聖書の時代になってペトロは、ルカ5章でイエス様を舟に乗せ言うとおりに網を打つととんでもない量の魚がかかります。そこで、彼は「あなたを人間をとる漁師になる」という言葉を受けて、イエスに従います。
神様との出会いは、衝撃的なもののようです。
アモス書で語る神様に出会う準備とは、再び神様に出会うことを表しているように思います。
私がイメージしたのは、ペトロが復活したイエス様に再会するシーンです。ヨハネ21章では、漁師の生活に戻っていたペトロがイエス様に再会します。そこでも、たくさんの魚がとれるシーンでペトロは復活したイエス様に気付きます。そして、ペトロは炭火の前で「わたしを愛しているか」と3回も繰り返し問われます。炭火の前とは、十字架につけられる前のイエス様をペトロが「知らない」と否定したことに関連しています。イエス様の前で、知らないと否定したペトロを見つめるイエス様の目線がなんとも言えません。ただ、イエス様はペトロを赦し、「私の羊を飼いなさい」と新しい役割を伝えています。
今日神様に出会う準備をするとは、どういうことでしょうか?
イエス様は再び来られることを聖書の最後に語っておられます。「すぐに戻ってくる」、と。アモスの時代のイスラエルの姿を反面教師として、私たちはその準備をすすめたいと思います。
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