陶器師と陶器:聖書をめぐる旅:5/22
5/22(日)
神様と人間の関係は、陶器師と陶器の関係に例えられています。
陶器は陶器自身で自分の目的が何であるか理解できません。しかし、意志をもった陶器は、ありえないことを始めてしまいます。それは、陶器がつくられた目的とはまったく違うものでした。
エレミヤ書18章
1主からエレミヤに、次のようなことばがありました。 2「さあ、陶器を作っている者の家に行きなさい。そこで、おまえに話そう。」 3言われたとおりにすると、陶器師はろくろを回している最中でした。 4ところが、彼は手がけていたつぼが気に入らなかったので、それをつぶして粘土のかたまりに戻し、初めからやり直しました。
11だから出かけて行って、ユダとエルサレムの全住民に、こう警告しなさい。さあ、神のことばを聞きなさい。わたしは今おまえたちのために、良いことではなく悪いことを計画している。だから悪の道を捨て、正しいことを行うのだ。」 12ところが彼らは、こう答えました。「おせっかいはやめてくれ。神の言われたことを行う気など全くない。私たちはだれからも束縛されない。強情を張りとおし、悪を身につけたまま、いつまでも好き勝手な生活をしたい。」
18すると、人々はこう相談しました。「エレミヤを殺してしまおう。われわれには、祭司や学者、それに預言者がついている。彼の忠告などいらない。二度とわれわれに不利なことを語り、われわれを苦しめないように、彼の口を封じよう。」
23主よ。
あなたは、私を殺そうとする彼らの計画をご存じです。
彼らを赦さないでください。
彼らの罪を赦さず、御前で滅ぼしてください。
彼らに御怒りをもって罰してください。
「みなさん!神様はあなたがたに、悪いことを計画していますよ!
悪から立ち返って、正しい道に戻ってください!」
とテレビで放送されると、どう感じるでしょうか?
そうか!と言って、行動を変える人はどれくらいいるでしょうか?
耳障りな言葉が流れると、チャンネルを変えてしまうかもしれません。
神様からエレミヤへの命令は、全住民にこのことを伝えることです。
しかし、伝えた途端エレミヤは自分の命を狙われるようになります。
私を含め人間は、自分で正しいと思っていることをしているつもりです。
それが悪の道だと言われると腹が立つ存在なのかもしれません。善悪の知識の実を食べた人間は、自分が善悪の判断をする存在と錯覚してしまい、神様にとっての善が何であるかという視点に立てなくなっています。
陶器師に造られた器の目的は、陶器師にしかわからないことも知らず・・・。
エレミヤ書19章
4イスラエルがわたしを捨て、この谷を恥と悪でいっぱいにしたからだ。この民は、今の世代の者も先祖も、またユダの諸王も拝んだことのない偶像に香をたき、この地を罪のない子どもたちの血で満たした。 5バアルのために高い祭壇を築き、自分の子をいけにえとして焼いたのだ。こんなことは、命じもしなければ考えもしなかったことだ。
10エレミヤよ。連れの者たちの前で、持って来たつぼを砕き、 11天の軍勢の主のことばだと言って、こう伝えなさい。このつぼが粉々になったように、わたしはエルサレムの市民を粉々にする。つぼが元どおりにならないように、彼らも元どおりにならない。殺される人があまりにも多いので、埋葬する場所もなくなり、ついには、死体がこの谷に山積みになる。
14エレミヤは、以上のことをトフェテで伝えたのち、市内に戻り、神殿の前で、全市民に言いました。 15イスラエルの神である天の軍勢の主のことばだ。「わたしはこの町と周囲の町々に、約束どおり災いを下す。おまえたちが強情を張り、わたしのことばを聞こうとしなかったからだ。」
神様は、バアルに生贄として子どもを焼いたイスラエルを厳しくとがめています。偶像に何をささげても、偶像が何かできるわけはありません。真の神様に背を向けて、とんでもないことをする人間に神様は完全に頭にきて、
壺を粉々に割るように、エルサレムの市民を粉々にすると宣言しています。
神様の怒りは、すでに臨界点をこえているように思います。
ナショナルジオグラフィックのHPを読んでいると、南アメリカで140人もの子どものいけにえがされた遺跡が発見された記事がありました。
何故、いけにえをするのでしょうか?
それによると、儀式的な殺人は契約であり、超自然な存在から何かを得るために行われるという考え方があるそうです。
バアルの祭司とエリアの戦いを思い出しました。
偶像に対しての契約などまったくの的外れとしかいいようがありませんが、悲しいかな人間がおこなってきた歴史の一幕でもあります。
<参考資料>史上最大規模、子ども140人の集団生贄を発見