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不敬虔な者たちのために ローマ4章5章 2024/5/16

[ローマ人への手紙 4:4,5]

働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払われるべきものと見なされます。
しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。

→働くことすなわち行いによって得られるものではなく、不敬虔な者を義と認める方を信じることによって、義とされるという、とんでもない恵みがここにあります。

[ローマ人への手紙 4:11]

彼は、割礼を受けていないときに信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められるためであり、

→アブラハムの人生から学ぶ信仰とは、割礼を受ける前の信仰に基づいています。自分の罪を認め、救い主を信じることで、救われます。


[ローマ人への手紙 5:2,3,4,5]

このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。
それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

→苦難から希望を生み出すメンタリティが、キリストを信じる者に与えられています


[ローマ人への手紙 5:6,7,8]

実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。
正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。

→私たちは正しかったから救われたのではありません。どうしようもない罪人であった時に、キリストが私たちのために死なれたのです。
こういうことを恵みというのですね。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

[ホームページ]
https://graceandmercy.or.jp/app/

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