ゴリアテの兄弟:聖書をめぐる旅 12/19

12/19(日)
今日は私たちの教会では、クリスマス礼拝でした。
イエスキリストは、十字架につけられるためにこの世に遣わされました。立派な人のためにも、そうでない人のためにも、神様を信じている人のためにも、今神様に背を向けている人のためにも・・・です。そして、私もその中の一人でした。
 歴代誌上20章は、巨人ゴリアテの兄弟を打ち負かした話から、詩編98章は被造物に神様が命じていることから考えてみました。

歴代誌上20章

5またペリシテ人との戦いがあったとき、ヤイルの子エルハナンがガト人ゴリアトの兄弟ラフミを打ち殺した。ラフミの槍の柄は機織りの巻き棒ほどもあった。

 イスラエルとペリシテとの戦いで、あのダビデとゴリアテの戦いを彷彿させるようなシーンです。
身長2.9m、鎧の重さ約57Kg、槍の鉄の葉は6.8Kgのゴリアテに対して、少年ダビデは、投石器となめらかな石で勝利しました。
見かけの大きさや強さが勝利をもたらすのではないことを、ダビデの姿をとおして、イスラエルの民は学んだのだと思いました。
「これは、主の戦いである」
少年ダビデは、自分の力に寄らず主への信頼をもって、ゴリアテに対峙しました。
このダビデのメンタリティーをもった、イスラエルの勇士が、ゴリアテの兄弟に立ち向かい、勝利しています。
「弟子は師にまさるものではない。」
「しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。」
(ルカ6:40)
 暗闇に光として来られたイエス様のお手本に倣うものとして、前進したいと思いました。


詩編98編

7とどろけ、海とそこに満ちるもの
世界とそこに住むものよ。
8潮よ、手を打ち鳴らし
山々よ、共に喜び歌え
9主を迎えて。
主は来られる、地を裁くために。
主は世界を正しく裁き
諸国の民を公平に裁かれる。

→この命令は、世界中の動物、そして海に対して、山に対して発せられています。
被造物に神様は命じておられると思いました。
アダムの堕落以来、神様によって創られた被造物が、今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみをあじわっている。(ローマ8:22)とあります。
私たちが見る自然は今でも美しいものですが、神様が創造された世界はもっともっと美しいものなのかもしれません。
神様が地上の王として、再び来られる日を被造物ももろ手をあげて待っておられます。
 クリスマスの讃美歌に、「もろびとこぞりて」という曲があります。ひらがなで書くと意味がわからないまま歌っていましたが、
 もろびとこぞり=「諸人こぞりて」
 むかえまつれ=「迎えまつれ」
 しゅはきませり=「主は来ませり」
「みんな集まって、迎えよう! 主なる神様が来られます!」
という意味です。クリスマスの楽しさ以上に勇気が出るのは、神様の凱旋を祝う賛美だからなのかもしれません。今日、神様の御子という最高のプレゼントをいただいたことを、心から感謝したいと思います。クリスマスの喜びが、この記事を見てくださった方に溢れますように!

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