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「気が狂ったのだと見せかけ」サムエル記上21章22章~ちょびっと聖書  a little Bible


4/27(木)

<気づき>
サムエル記上21章
・4それよりも、何か、パン五個でも手もとにありませんか。ほかに何かあるなら、いただけますか。」
・10祭司は言った。「エラの谷で、あなたが討ち取ったペリシテ人ゴリアトの剣なら、そこ、エフォドの後ろに布に包んであります。もしそれを持って行きたければ持って行ってください。そのほかには何もありません。」ダビデは言った。「それにまさるものはない。それをください。」
・13ダビデはこの言葉が心にかかり、ガトの王アキシュを大変恐れた。 14そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした。

 サウル王から逃げているダビデの姿を見ると、非常に痛々しい感じがします。イスラエルの将軍であった者が、食料も剣も持たずに逃げている。逃げていることも隠している。さらに、自分が気がふれたように演技することで、生き抜いている。自分のために、むしろ主のために、生きているのだと思いました。

サムエル記上22章
・1ダビデはそこを出て、アドラムの洞窟に難を避けた。それを聞いた彼の兄弟や父の家の者は皆、彼のもとに下って来た。 2また、困窮している者、負債のある者、不満を持つ者も皆彼のもとに集まり、ダビデは彼らの頭領になった。四百人ほどの者が彼の周りにいた。
・ 23わたしのもとにとどまっていなさい。恐れることはない。わたしの命をねらう者はあなたの命をもねらう。わたしのもとにいれば、あなたは安全だ。」

 ダビデが安心できる居場所は人々の間ではなく、アドラムの洞窟だったことが印象的です。そこに、400人もの彼を慕う者が集まっています。おそらく、この世で行き場のない人たちです。虐殺された祭司アヒメレクの息子も、ダビデの元に安心の場所を得ています。これは、馬小屋で赤ちゃんとしてお生まれになったイエス様の姿と重なります。

<祈り>
 天のお父様、今日も聖書からの学びをありがとうございます。
サウル王の敵とされたダビデの歩みを見ると、非常に悲しくなります。たとえ油注がれていても、この世の王から迫害されながら生きるとはどういうことでしょうか?
自分の生きる意味を問いながら、歩んだ歩みだと思いました。
しかし、このダビデの歩みは私たちクリスチャンの歩みにも似ています。
確かに、神の子とされ、主が来られることはわかっています。しかし、今日の生活もあり、時に自分の状況を隠し、時に演技し、主の時を待つ必要もあるのだなと思いました。
主よ、私たちは主の十字架の贖いによって、無償で贖われた者ですから、喜んで主の目的を今いるところで果たすことができるように導いてください。ダビデのメンタリティ、ダビデの信仰を私たちに分与してください。

~ちょびっと聖書  a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
※神様、イエスキリスト、そして自分のことを見つめなおす「4つの法則」をご案内します。 https://www.japanccc.org/4sl/

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