海の見える街
車が停車すると、僕は、いの一番に車から飛び降り、砂利の撒かれた駐車場から駆け出してその先の坂道を登った。この坂道は急だ。右手には小学校がある。通ってない小学校というのは、独特の近寄りがたい距離感がある。門の向こうに見える校舎、ひまわりか何かの植木鉢、窓の中にチラッと見える掲示物。大体の生徒数を考える。多くはなさそうだ。左手はみかん畑が広がっている。まだミカンは葉っぱと同じ緑色だ。坂道は途中で左右に分かれている。目印はよく吠える犬だ。怖くてしようがない。左の脇道に入って行く。ここで坂は終わり。細道は人ひとりがやっと通れる幅だ。だから車は下の駐車場に置いているのだ。後ろを振り返ると、まだ父も母も姉も遠くに見える。少し速く走りすぎたようだ。少し距離を縮めるためにゆっくり歩く。なんとなく、一番のりは恥ずかしい、そんなお歳頃だ。ミカン畑の向こうには、海と島が見える。母の実家の裏道であるこの細道はほぼ私道と言っていい。夜はどうやって通るんだろ。怖すぎる。
目指す家が見えた。その家の窓から誰かが手を振っている。あの部屋は台所。そこからおばあちゃんが手を振っている。毎回の事だ。あの台所は酸っぱいにおいがする。梅干しをつけているにおいだ。やや苦手。
おばあちゃんに手を振り返す。ちょうど父と母もやってきた。姉も。
裏から表の玄関側に回る。玄関周りは庭が広がっている。家がある場所は、かなりの高台になっているので、瀬戸内海の、島々がいっぱい見える。船もたくさん通っている。タンカーや、フェリー、高速艇や、漁船。それらが右へ左へ。船は大きいほどゆっくりに見える。右の端っこから左に向かって行く大きな船、全然動いてるように見えないんだけど、他に夢中になって、ハッと気がついて、その船を見ると、もう左の端っこに移動している。見てる時はゆっくりで、僕が目を離した隙に、スピードを上げているんだ。きっと。
「コクリコ坂から」という映画がある。あの高台から見える海と船のシーンによく似ている。あれに島を足した感じで、とても綺麗で大好きだ。
海の手前には、海岸沿いに国鉄山陽本線が走っている。夜明け前になると坂道を駆け下りて、寝台特急ブルートレインを見に行くのがここに来た時のもう一つの楽しみでもある。その先の国道2号線には出ちゃいけない。
高台から景色を望めるのは隣町の尾道と似ているが、尾道は向かいに、まさに「向島」があり、海は川のように見える。ここはそうではなく、ずーっと先の四国まで見えるのだ。
僕はここが大好きだ。
大好きだった。しかし、今回の豪雨災害で、このかつて母の実家があった三原市の「木原」という地区は今回、本郷と並び、大きな被害を受けた。土砂は谷の上から家々を巻き込んで、JRの線路を超え、国道二号線まで出た。人口も少なく報道は少ない。道は細いので、なかなか大規模な復興作業ができなくて、作業が進まない。そんな場所は各地にある。皆必死で生きている。
今日、スーパーの買い物の途中、西日本豪雨災害の募金活動をしていたので、ポケットに入っていたお金を鷲掴みして、募金箱の隣に立っている人の手に渡した。顔が上がらなかった。これぐらいしかできない、していない自分に。顔を上げれなかった。きっと、顔は、ぐしゃぐしゃだろうし。
その帰り道、幼き幼稚園の頃、木原での思い出がぶわっーーっと湧き出てきた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?