文化人類学者とコーチとわくわくする話をしてきた
はじめに
言葉にならないくらい、いい場だった。ほんと、色んな話が繋がって、本当にワクワクする場でした。ほんと、ことばが追いつかない。感謝しかないです。そんな体験を少しだけ、紹介させてください。
過去、メッシュワークの水上さんと人類学の観察について話す機会をもらい、先日、メッシュワークのゼミに参加してきた人間大好きなアジャイルコーチのEmiさんに参与観察の体験談を聞かせてもらい、システムコーチのAkiさんからの熱い要望もあり、参与観察とコーチングのアプローチの違いとか共通点とかを雑談する場を設けさせてもらいました。
水上さんに参与観察について伺った会はこちら
Emiさんに参与観察の体験記を聞いた会はこちら
文化人類学とコーチングのスタンスの違い
話が進むといいなぁと思って、皮切りに文化人類学とコーチングのスタンスの違いを私なりに言語化して伝えてみました。
結局は自分と向き合ってた
この話の後にEmiさんが、参与観察のゼミの話をしてくれました。「参与観察のゼミの期間中、相手を見ていると思い込んでいたけど、ずっと話していたのは自分のこと(ものの見方)だった」って言っていて、自分のものの見方をうまく外すことができずに、ずっと相手の素の姿を見ることができなかった話を聞かせてくれてました。相手に変容を求めずに自分が新しいものの見方を獲得する。絶えず変化する他者との境界を捉えるといった、体現するとなると、めっちゃしんどそうな話でした。
判断を保留することが居心地の良さにつながる
そこから、水上さんと話していると居心地がいい、という話になり、その理由はなんだろうかという話に。文化人類学者は陰キャが多いから相手と距離を取ろうとするからでは、とか、相手を変えようとせずにじっと観察しているからでは、とか、話は転がったのですが、Akiさんが「評価や判断を保留にしている気がして、NVCの考え方にも通じる感じがある」として、評価を挟むジャッカルと観察したことを素直に伝えるキリンの話をしてくれました。
同化しながらも「でも違うんじゃない」を持ち続ける
ここまで話してきて、水上さんが、「自分と違う価値観に出会うと、嫌悪や拒絶も生じる。一旦、判断を保留してフラットになってから分析をしないと、分析結果もネガティブに偏ってしまう。でも、嫌悪や拒絶を感じたという事実は何らかのシグナルなので、取っておくことが大切」という話をしてくれてました。同化しながらも、「でも違うんじゃない」を持ち続ける。しんどいけど、違和感を消さずに、ピンどめして持ち続ける。でも、難しくてしんどい、相手と無条件にわかりあえるなんて無理だけど、諦めなければ理解・共有できる範囲も増えてくる、けどやっぱり理解も共有できない部分も多分ある。わかるという行為は全部途上っていう話でした。そして、それを根気強くやり続ける気力やうまくことがが、文化人類学者が持つ特有のスキルかもっていう話に落ち着きました(そして、このスキルの一部でももっとカジュアルに使えるようになりたい。ニーズあるわーって言う話で盛り上がりました)
おわりに考えたこと
途中から、文化人類学の考えかたもコーチングの考え方もにているところがあるけど、どんな言葉で説明ができるのかなぁと考えていたところに、AkiさんがCQの考えを紹介してくれて、ふっと腑に落ちた面があるので、そこを話して終わりたいと思います。
CQ(カルチュラル・インテリジェンス)とは文化の違いを超えて円滑にコミュニケーションを図る能力のことです。個人間の文化とはつまりは相手との相互理解です。Akiさんの発表資料によると、83%の人が、違いを深く理解する「受容」や違いに橋をかける「適応」の領域に至っていないとあります。
水上さん、Emiさん、Akiさんの話を聞いている中で、文化人類学のアプローチは、相手を観察することで自身がこの受容や適応の段階に自己変容していく行為に近しく、コーチングのアプローチは受容や適用の段階に変容を促す伴走をする行為に近しいと思いました。そして、これって、広くニーズあるんじゃなかろうかという話に広がりました(水上さん、メッシュワークでワークショップ作ってくれるの期待してます)。ただ、文化人類学も応用文化人類学の様に相手に変容を促す領域もあるようだし、コーチングでも大きな変容を促すことを避けるコーチもいるとおもうので、許容する変化に対する価値観については別途深ぼってみると面白そうだと思いました
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