私の後ろに見えてる何か

母は父の一番の被害者だと思う

そんな母は、父の言動に似てるとこがある私の意見を絶対肯定しない

父に似てなければ良いけど、父が言いそうなことについは、直接本人に言えなかった分、私に反論をぶつけているのかもと思う

恐怖に支配されるということは、言論の自由がなく、解放されたときに自由になるかというとそうではない

母は漸く自由になってきたのだと思う

自分の意見を発信することができるようになった母に、私の考えをぶつけると今まで言えなかったことが溢れだす

私はいろんな意見が聞けて勉強になるが、さすがに嫌味にはムカッとくる
きっとこれは散々心の中で呟いてきた嫌味なのだろう
私も同じだったからよくわかる

今母は、他人に自分の意見を受け入れてほしい時期のようだ
受け入れてもらえないことに腹を立てる
ただ腹が立つ理由が、受け入れてもらえないことにあるとは一切思ってないのが切なくて、つい言ってしまった

受け入れることと、受け止めることは違うのだと、私は母の意見を受け止めるけど、私の意見とは違うから受け入れることはできないと

正直、これは直接言うべきではなかったかもしれないと思っている

でも私も止まらなかった

認めてほしい受け入れて欲しいと望んでいる心に、慈悲で手を差し出すことができない

肯定はするが、そういう考えもあるんだ~、一つ勉強になったよ!って姿勢をとることが嫌味に見えるうちは……

でも、私は母はそれで良いのだと思う
漸く言いたいことを言えるようになったのだから
私の後ろに父をみて、過去の自分を救ってるのかもしれない
本当はこうしたかったを実現させているのかもしれない
ただただ意見が違ってるだけかもしれないけど(笑)

私は正論だと思うことを発信するとき、しばしば他人をバカにしているような態度を取ってしまうようなので(なんとなく、あっ、今のか…って思う)、そこんとこは改めて気を付けたいと感じた今日の夜です

以上

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