光の指す場所
高校時代の竹下剛は薄い眉に赤い唇に青白い顔をしていたので、男子からは女と笑われ女子からはキザ男と呼ばれていた。非常に物静かな青年だったが、怒りをためて爆発させるタイプだった。
彼は自分の陰口が聞こえると肩を震わせながらポケットからバタフライナイフを取り出し、陰口を言った生徒を威嚇し追いかけた。騒ぎを聞き先生が駆けつける頃になると、改造したベルトの内側にナイフを器用にしまい荷物検査を逃れた。その事件以降、教室で彼に関することはタブーとなった。クラスメイト達は、学内で彼の姿を見ると鬼ごっこの鬼に見つかった様に皆逃げた。休み時間に空を眺めても誰も気にしない、横顔は彫刻の様に美しく多くの女生徒は彼に見とれた。自己変革を思い立ち眉毛を全て剃りおとした。結果、人を遠ざけ透明人間の様な三年間を過ごした。
傷ついた心を癒すため、自尊心を取り戻すかの様に昭和文学やアングラな芸術に没頭した。その頃に教科書で読んだ芥川龍之介は差別や迫害をテーマにした描写が多く、歪んだ愛情を感じた。お気に入りの文豪達は皆どこか儚であった。彼は物語の登場人物と自分の環境を重ね合わせて、貪る様に読んだ。中でも取り分け坂口安吾の堕落論に心酔し、有名な一文を自室の部屋に殴り書いた。
「生きよ、堕落せよ」
彼は普通に生きる事を困難だと高校生活で知ったので、手に職をつけようと考えデザイン専門学校に進む事にした。その学校では年の離れた人間や容姿端麗な生徒達が居たので彼の風貌が目立つ事はなかった。入学してすぐにこの学校でならやっていけると考えた彼はバタフライナイフと改造ベルトを、ガムテープでぐるぐる巻きにし机の奥深くにしまった。少年とナイフはギラギラしていて相性はサイコーだった。「新しい人生を生きるから」と竹下はナイフに誓いを立てた。
辛い時期に壊れそうな心を支えてくれた昭和文学や、アングラな芸術に恩返しをしたいと思い彼は策を練った。この頃からアングラな漫画や文豪の写真をプリントした自作のTシャツを作りはじめた。有名な文豪は顔の彫りは深く陰影があるため、グラフィックデザインに向いていた。昭和文学とアングラ芸術をミックスした自作の前衛的なコスチュームで街を歩く活動をした。
学生帽を被り目の周りを黒く塗りカーキー色のトレンチコートを纏い、白い手袋をはめ、厚いブーツを履いた彼の姿は「帝都物語」の魔人のようだった。彼のファッションは街の人間には到底受け入れられるものではなかった。街を歩けば周りの人間は汚いものを見るように彼を遠ざけた。しかし彼はそんな事はお構いなしだった。じぶんの好きな服を着て歩くことのできる喜びを噛み締めていた。
幾度に及ぶ警察の職務質問。
街の要注意人物の烙印を押されるのも時間の問題だ。失敗を重ね悩み彼は閃いた。ギターケースを常に背負い、職務質問されると流暢にこう答えた。
「いまからスタジオに行く途中です」
今日も空のギターケースを背負い原宿に向かう。原宿の街では彼の異様な風貌は調和している様に見えた。なぜなら原宿に来る人間は、ゴシックロリータの少女や多くの外国人に見慣れていたからだ。周囲の好意的な眼が嬉しかった。それはいじめられっ子同士の馴れ合いかもしれないが彼は笑える様になった。ゴスロリ少女に会えば微笑んでお辞儀され、外国人からは一緒に写真撮影を頼まれる。
気分のよくなった竹下は初めてインスタグラムに自撮りの投稿をした。投稿してしばらくすると、「気持ち悪い」「ナルシスト」「しね」などの批判的な意見や「Beautiful」「すき」「いいね♡」などの賞賛のコメントが殺到した。その後、定期的に自撮りの更新やコスプレして原宿を練り歩く活動を継続した。フォロワー数は徐々に増えていった。彼はその様子を満足気に眺めていた。
そんな上機嫌の日にスイーツカメラマンの小野からコンタクトがあった。
『スイーツ』は原宿界隈の個性的な素人のスナップを掲載し、十代後半~二十代半ばで爆発的な人気を集めインターネットを通じ海外でもその動向を注目されており、原宿独自のファッション文化であるカワイイという言葉を世に広めた。原宿で『スイーツ』に掲載される人間は同世代のティーンの間で一目置かれる。雑誌の表紙を飾れば原宿中の若者から声をかけられ、カリスマ的な扱いを受ける。
彼の個性的なファッションやメイクは編集部で多いに受け、毎月の様に彼のスナップが掲載された。高感度なティーンからはいつしか「お洒落番長」と呼ばれる様になった。
竹下は今日もメイクを念入りにして、世界を相手に自撮りを発信する。