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息子は間もなく6歳。間もなく受験。

私は、間もなく6歳になる男の子の父親です。
そして、間もなく、息子は小学校を受験します。

私は、息子の受験について、思う事をここに書こうと思います。

私は息子を3歳の頃から幼児教室に通わせています。
幼児教室の利用は最初は妻からの提案でした。
この子の可能性を広げてあげたい、そのためには公立校じゃなくて、もっと良い環境を用意してあげたい。そんなことだったと記憶していますが、よく覚えていません。

でも、そもそも息子にとっての良い環境ってなんだろう。

よほどのことでない限り、環境は良い悪いという話ではなく、合う合わないという適性の話のはずなのに。でも、学級崩壊や、いじめの話題を耳にすることも当然ありましたから、私立に行けるなら私立に。そんな気持ちが強くなっていきました。まもなくコロナ禍の生活に。都内に住む私たち家族は、生活に窮屈さを感じるようになりました。そんな中、とにかく家族一丸で受験勉強に取り組みました。

息子といえば、親に似ず、優秀ぶりを発揮しました。嬉しい誤算は、私たち両親を付け上がらせました。そして、気がつけば、難関校と呼ばれる小学校を受験することになっているのが、今の家族の姿です。

子どもは無条件で親の期待に応えたいと思うものなのでしょうね。勉強を通じて、確実に考える力が向上しているなんてことには気付く由もなく、勉強の意味や受験に対するモチベーションなど、おそらくこれっぽっちもないまま、ただ勉強をしてくれています。時には強く泣いて抵抗することもありましたし、私たち両親といえばそんな息子を厳しく怒ったり、葛藤を続けながら、それでも「息子に押し付けたことは、自分たちも最後までやり切らせ、やり切ろう。それは良いか悪いかなんて結局分からない。ただ、決めた道である」と覚悟を決めました。

息子よ、目指せ、難関校。

目指す難関校は自然豊かな環境と、子どもらしさをとても重んじている素晴らしい学校であると認識しています。入学できればどんなに嬉しいか。でも、その一方で、受験を終えることがゴールで、とにかく一刻も早くこの受験勉強から親も子も解放されさえすればそれで良いという気持ちもあります。

息子はとてもセンチメンタルで共感性の高い性格です。眠る前には、命の話をしてくることが増えました。「お父さんと僕の命って、どっちが大切なの?」

コロナ禍で飛び交う嫌なニュース、嫌な言葉、窮屈な生活の中で、息子の感受性も育っているのだなと感じます。


間もなく受験。


どんな結果でも、私は最高の笑顔で息子を認め、尊重したいと思います。

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