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美味しいから許されてるだけの食い物
寿司について思いを馳せてみる。
江戸前寿司の職人の動画を見たりすると正直思ってしまう。
「汚くね?」と。
親以外の人間が素手でにぎにぎした米である。しかも大概はおっさんである。そのにぎにぎを極めるためには若い頃からにぎにぎを始めても、おっさんになるぐらいのにぎにぎ時間がかかるのである。
美味しいから寿司は大好きだけど、工程をまじまじと見て、冷静になると汚い食べ物なのかもなと思う。
江戸時代、ファストフードとして発展した食文化なのだからまあそりゃ汚いはずである。
寿司側のブランディング力と、世界の漁業の競争の激化などによる魚の価値の高騰とかで多分その高級感を担保してるんだろうけど、ふと立ち止まるとやっぱり汚い。
寿司同様に鰻重も汚い。好きだけど。
継ぎ足しのタレって何?
だいたい何十年単位で継ぎ足している。何十年前のコーラとかはYouTuberのネタになるぐらい衝撃的なのに、鰻重のタレだけは許されている。
50年前のキャベツ太郎をありがたがって食べるだろうか?
それはもうキャベツマイナス二郎ぐらいの世代なんじゃないだろうか。
餃子も汚い。美味いけど。
あの餃子のつなぎめのシワ。寿司とかよりも強めに、テキトーに人が握っている。握っているのはまあ基本的にバイトだ。
マスク着用が義務付けられている工場でも、マスクを外してはしゃぐお調子者みたいな奴は絶対にいる。
水餃子なら茹でる時に他人エキスが水に溶け出している気がしてまだセーフだが、焼き餃子は他人エキスがあんまり溶けてはなさそうである。熱を通すことで変質した他人エキスが付いていそうである。故にアウトである。
突き詰めていくと、食べ物というもの自体が美味いから許されてるだけのものなのかもしれない。
どんな食べ物でも他人が握ったりしている時間はあって、それに目を瞑って生きているだけなのかもしれない。だからみんなには目を覚ましてほしい。
お前らの食ってる食べ物は全部一回以上握られてるぞ。しかも握り手がおっさんの可能性がまあまあ高いぞ。
今後はレタスやキャベツの内側部分だけを食べて生活していこうと思えた。
寝ます。