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教養日記0日目

教養日記とは

「教養日記」は僕がインプットした教養を、僕のことばで噛み砕いてアウトプットするものだ。

内容は芸術、文学、歴史、科学、雑学まで幅広くだ。ここで内容の幅を定義してしまうつもりはない。僕が学んだこと全てがアウトプットの対象だ。

それを毎日更新をするつもりだ。この「教養日記」を読み続ければ、積もり積もってあなたの知識が広がり、あなたの人生も少し広がることを約束しよう。

とりあえずは、無料でやってみる。この先有料にするかもしれないけど。

教養日記を書くに至った経緯

ぼくがこの「教養日記」を書くに至った経緯を書こうと思う。

ここ2週間で本当にいろんな人と会った。いろんな人と関わった。

今までは自分より大幅に上の世代は家族経由でしか付き合うことはなかったし、下の世代も同じだ。

でも今は、東京に家を貰って、15歳の高校生と暮らしているし、24歳の師匠もできた。それに伴って沢山の違う年代の人と関わるようになった。


「東京なんて人の住むところじゃない、俺は田舎が好きだ」
もう小学生くらいのときからこんなことを言っている。ジジくさいよなぁ笑。

いまでも、東京は人が住むところではないと思う。

ただ、考え方は変わった。東京には多くの人がいる。

加えて、現代は顔も知らない人と会って、話をすることがとても簡単な時代だ。

それならば、東京で暮らす価値はある。様々な人と会って、話すのは、何よりの成長になるからだ。


自分の奥行のなさを実感する

そんな感じで、東京に行って多くの人と会った。Twitterのフォロワーが大勢いる人。いろいろ凄いイケメン。30代でも成長し続けようと、目を爛々とさせるOTONA達。ナンパの神。すげえ15歳。ちょっと年上のすげえ同世代。

みんな今まで会ったことがなかった人種だった。

いままで、僕の周りには僕より「勉強ができるやつ」はいても「こいつ、圧倒的に賢いな」って震えるような人間には滅多に会わなかった。

だから自分は地頭がいい人間だと思っていた。


とんだ勘違いだった。

井の中の蛙という言葉がふさわしい。


僕は議論をするのが大好きだ。学校でディベートの時間があるとワクワクしていた。

純粋に意見をぶつけ合うのが好きだったんだけど、正直「そこらへんの大人相手なら論破もできる。同世代なんて当たり前だ。」という自惚れが根底にあったからかもしれない。

僕は、今まで「何も考えていない人」と「周りと比べて少し賢い自分」を比べて踏ん反り返っていた。


しかし、僕が踏み込んだ世界の住民達は、地頭がめちゃくちゃいい上に、常に知識を吸収して、常に考えて生きてきた。

そんな人たちとディベートをすると、彼らの深い教養と知識を前に、僕は「あぁ〜めっちゃわかります〜」しか出てこなかった。

わかるんだ、一応、言いたいことはわかる。ただ、同調以上の言葉が出てこない。表面以上の理解しかできない。会話を広げられない。

僕は自分の知識の少なさ、教養のなさ、語彙の少なさ、表現力のなさに打ちひしがれた。


こんなんじゃダメだ。僕がこの先生きていくなら、この人たちと同等に語り合いたい。打ちひしがれて止まっている暇なんてない。

経験や地頭が足りないなら、教養を身に着けるしか、すぐに、そして簡単にこの人たちと同じ土俵に立つ手段はない。

と確信した。


考えてみて欲しい、教養をつけることは、選ばれし才能が必要だろうか。

圧倒的な地頭が必要だろうか。


いや、必要ない。「教養」を身につける為に必要なのは「知りたい」という欲求と、そのための知識を学ぶ時間だけだ。


それだけでいい。僕がいま掲げている「超高速」と同じだ。

誰でもできる。

だけど、誰もやらない。


僕は最近思ったことがひとつある。

誰にもできるのに、誰もやらないことを完璧にやり続けること。

これが、いま何者でもないあなたが、未来の何者かになったあなたの助けになる確実な投資だ。


「何かしたいけど、何をすればいいかわからない」

簡単だ。
超高速で日々を生き続けろ。恋愛以外のlineをすぐに返せ、「やってみたら?」に反射的に飛び込んでみろ、「何もしてない自分の頭」を信じるな、頼まれた仕事を締切2日前に終わらせろ、いや、頼まれたその日のうちに終らせろ。

簡単だ。
教養を身につけろ。YouTubeで気軽に楽しい動画を見れるようになった現代で、ミケランジェロについて調べてるのは、あなたの周りには誰もいない。
その知識がすぐに役立つかもわからない、一生使わないかもしれない。だけど、学べ。


正直、モテたいだけだよね

と、まぁダラダラと常套句をあげさせてもらった。

もちろん本音だ。間違いなく最近実感した一番つよい教養への思いだ。

だけれども、ふと思い出した。

僕はとっくの昔から教養を身につけようとしていたんだ。


それは1年前、ちょうど梅雨があがった今ごろだ。僕は彼女と美術館でデートをしていた。

「あ、私この画家好きなんだよね。ぐっちー知ってる?」

「ん、んん!わからん!だけどいい感じやね。なんというか素敵な感じ!」

「ふふ、そうでしょ?」


いやぁ、この美術館デートはよかった。すごい楽しかった。

楽しかったんだけど。毎回ちょいちょい挟んでくる彼女の教養についていけなかったんだ。

そのせいか知らないんだけど、今は別れてしまった。


今思えば、別に彼女の教養についていけなくてもいいから、僕の好きな画家とか、有名な画家の小ネタとか、生い立ちとか。習字の書体とか。そういうの知ってたら、もっと彼女と楽しくデートできた。もっと楽しく話せたのかなぁとおもった。

今思えばこれが、根底に眠る「教養」への憧れだったんだろうな。


最後に

最後に、教養を得たからといって、それをひけらかすようになっては「モテ」とは遠ざかる。

教養が一番美しく活きる瞬間は「ふとしたときに、さりげなく」だ。
これを忘れて、ベラベラと知識を振りかざすのは美しくない。ぜひ、気をつけてほしい。


あとは、「教養がない人に対してマウントをとるためのモノでもない」ということにも注意してほしい。

わからない人にはわかりやすく、かつ面白く説明をしてあげよう。

同等の教養を持つ人とは、互いに深め合おう。


あなたが、「教養のあるステキな人」になるための手伝いができたらいいなと心から願い、この「教養日記」を書いていきます。

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賢治(KenG)
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