ダ_ヴィンチ

教養日記1日目:レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチとは。

レオナルド・ダ・ヴィンチとは何者だろうか。

たぶん、多くの人が「芸術家だ」と答えるだろう。

そうだ、彼は芸術家だ。何も間違ってはいない。ただ、「芸術家」だけでは足りないのだ。

音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学様々な肩書きをもっている。

しかも現代でいう「英検3級とりました〜!これで英語を話せる認定だー!」という。ただの肩書きレベルの話ではない。

すべての分野で顕著な業績を残している。

この異常なまでの多才さから「万能人 (uomo universale)」という異名までついているのだ。


ダ・ヴィンチの意味

現代で彼を語るときは「ダ・ヴィンチ」と言う人が多いだろう。

映画『ダ・ヴィンチ・コード』の影響もあると思う。『レオナルド・コード』ではないのだ。そのせいもあって、多くの人の頭の中ではダ・ヴィンチが一般的だ。

しかし、彼は終生「レオナルド」とだけ名乗っていた。

「ダ・ヴィンチ」はただの「ヴィンチ村出身の」という意味なのだ。

これからは彼のことを「レオナルド」と呼んであげよう。

ダ・ヴィンチじゃあ、日本でいう「北海道出身の」みたいな感じだ。それじゃあかわいそうじゃん。


レオナルド・ダ・ヴィンチのココがすごい!

モナリザ、最後の晩餐など、彼の代表作は世界中に知られている。

「私の芸術を真に理解できるのは数学者だけだ」
という言葉を残している通り。計算され尽くされた構図と、圧倒的な技量で書き上げられた彼の作品は現代でも高い評価を得ている。

しかし、個人的に彼の魅力は素描(そびょう)帳にあると考えている。

素描:デッサン。レオナルドの場合はアイディア帳、落書き帳と思って頂ければいい。

これは脊髄かな?解剖学もやっていた彼の素描帳には、こういったデッサンが数多く残されている。


有名なこのデッサンも素描帳のページの一つだ。

この絵を見ると、小さいころ兄と一緒に
「おっさんが裸でバタバタしてるwwwwwなんだこの絵www」とバカ笑いしたのを思い出してしまう。

親父も爆笑してたなぁ


あと、僕がワクワクしたのが、彼のメカニック系の素描だ。
実にココロ踊るデザインをしているが、驚いたのが、下のストーリーを読んでからだ。

ダ・ヴィンチは新たな仕事場を求めて、30歳の時にミラノへ移住。この街が彼の新たな出発点となる。ダ・ヴィンチは当時のミラノ公爵に、画家としてではなく、なんと軍事関係のエンジニアとして、自らを売り込んだ。

当時、ミラノはヴェネチアとの戦争状態にあった。仕事を手にするためには、軍事エンジニアとして売り込むほか手はなかったのだ。しかし、なんとその時、ダ・ヴィンチは軍事に関する知識も経験も何一つ持っていなかったのだという。ダ・ヴィンチは新たな仕事場を求めて、30歳の時にミラノへ移住。この街が彼の新たな出発点となる。

ダ・ヴィンチは当時のミラノ公爵に、画家としてではなく、なんと軍事関係のエンジニアとして、自らを売り込んだ。当時、ミラノはヴェネチアとの戦争状態にあった。仕事を手にするためには、軍事エンジニアとして売り込むほか手はなかったのだ。しかし、なんとその時、ダ・ヴィンチは軍事に関する知識も経験も何一つ持っていなかったのだという。

出典:テレビ朝日|奇跡の地球物語

軍事に関する知識も経験もないだって。
それを知った上で、これらの素描を見て欲しい。

↓大鎌を装備した戦車。

引用:Pinterest

↓ヘリコプター

参考:ダ・ヴィンチに憧れて

おそらく人類で一番最初に、機械を使って空を飛ぼうというアイディアを、紙に記したもの。この設計で人が乗ることは不可能だが、

「らせん軸には頑丈な鉄線を使用すること」
「直径は8ブラッチャ(約4.6m)」
「スクリューには空気を通さないように、表面にでんぷんを塗った布を張ること」
「軽くするために、長くて丈夫な葦の茎を使う」

など細かく設計されていて、本気で飛ぼうと考えていたことが伺える。
なんともワクワクするアイディア達だ。


これらレオナルドが構想、設計したこれらの科学技術のうち、彼の存命中に実行に移されたものは僅かだったが、自動糸巻器、針金の強度検査器といった小規模なアイディアは実用化され、製造業の黎明期をもたらした。という。

なんにせよ、この人の頭の中はどうなっているんだ。素人がポッと出せるような次元の案を超えているだろ。やばいな。


東京芸大の教授が語ったレオナルド・ダ・ヴィンチ

昔、ぼくの学校に東京芸大の教授が来て、レオナルド・ダ・ヴィンチの凄さを淡々と語っていたことを思い出した。


その中で、少し怪しいが「レオナルド・ダ・ヴィンチには物体の流れが見えていたんだ。」とも語っていた。

この素描を見せながら、「幼きレオナルド・ダ・ヴィンチは水ではなく、水の流れが見えていたのだ。」と熱弁していた。

確かに、水が上から下へ流れ込むときに、どんな動きをしているか。水面下まで水の流れをスケッチしている。

彼は小さい頃「水」に異様なほどの執着を示していたようだ。水の流れが認識できるようになるのも、この天才の幼少期なら頷ける。


すでに『多動力』を実践していたレオナルド・ダ・ヴィンチ

あれだけ夥しい数の素描を残しているダ・ヴィンチだが、完成させた作品はなんと十数点しか確認されていない。あの盛期ルネサンスの代表格にもかかわらず、である。

好奇心旺盛だったダ・ヴィンチは、なかなかひとつのことに集中できなかったのか、多くの作品を途中で投げ出しているのだ。依頼主は作品の仕上がりが遅れていると、 「完成する気がないのかも」と心配したという。
出典:my pensee

これを読んだときに、「まさにホリエモンの『多動力』じゃないか」と思った。

現代ですら、多動力を否定する人間が多い中、きっと彼の生きた時代では苦労しただろう。と勝手に思ったりもするが。その上で、ここまで成果を出しているところを見ると、彼の才能の偉大さを感じざるを得ない。


まとめ

お金2.0(オススメ)にも彼の記載があった。

「彼はあまりにもなんでもできるので「万能人」と呼ばれていました。しかし、私はその多才という点では違う意見を持っています。それはダ・ヴィンチには「全てが同じものに見えていた。」という仮定です。」

彼が生きた時代は学問は今ほど細分化されていませんでした。ダ・ヴィンチは宇宙や自然を含んだ万物に対する類い稀な探究心と創造性を持っていた人物であり、それが様々な面で発露した結果、彼が多才なように多くの人の目に「映った」のではないかと思います。つまり、彼はこの世界の全てを理解するという「1つ」のことに長けた天才だったのではないかという予想です。彼は著書の中でこんな言葉を残しています。

『私の芸術を真に理解できるのは数学者だけである』

私たちからすれば全く関係ないように思える「芸術」と「数学」を、彼は同じものとして捉えていたのかもしれません。

ぼくは、この「物事を1つとして捉える」力が現代には必要だと考えている。

なぜかというと、現代は1000円程度出せば「美味しいコーヒーのいれ方」が学べるし、月に500円で心理学やメンタリズムが学べる時代だ。

昔では職人のもとで何年も下働をしなければ習得できなかった、美味しい寿司を作る技術も、専門学校で3ヶ月で習得できてしまう。

多動力に実例がある。

専門学校で3ヶ月寿司を学んで、開いた寿司屋『鮨 千陽』が開店11ヶ月で「ミシュランガイド京都・大阪2016」の「ビブグルマン」部門に選ばれた。

簡単に本格的なスキルが身につけられる時代だ。

だから、レオナルドのように多くを学び、それらをひとつのものとして見ることができるのだ。

スティーブ・ジョブズの言葉を借りれば「点と点を線で結べるようになるのだ」

どの点と点が結べるかは、スキルを習得した人にしかわからないが、様々なことを体験すれば、それらが繋がる瞬間がきっとある。

それが多動力で言う「水平分業型モデル」だ。
水平分業型モデルはわかりやすく言えば「業種と業種のタテの壁を壊す」ことだ。寿司の業界とITの業界の壁を無くすのだ。自分の中で。

そうやって、色々な分野を経験して、色々な分野の壁を無くすと、新しい物が生まれる。そういった新しく、珍しい物が現代では価値になる。

レオナルド・ダ・ヴィンチのように全ての業界で大きな成果を残す必要はない。現代人は色々なものに手を出そう。そしてそれらをごちゃ混ぜにしてみよう。現代でも、彼から学べることは多くある。

最後は彼の名言で〆よう。この時代によく合う一言だ。

すべては、すべてから来る。すべては、すべてから創られ、すべては、すべてに戻っていく。すべては、すべてに包み込まれる。


本noteで紹介したオススメ本。現代を生きるヒントがあります。
飲み会を一回行かなければ2冊読める値段です。ぜひ読んでみてください。

多動力

お金2.0

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賢治(KenG)
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