教養日記3日目:神の存在証明
皆さんは神について本気で考えたことはあるだろうか。
僕はない。困った時だけ「おい、神様どうにかしてくれよ!」って頼むだけだ。
クリスマスはみんなと浮かれるし、正月はお参りにいく。
そんな中、宗教的な意味では無く、過去の天才たちが本気で神について考えたのが、この『神の存在証明だ』
懐疑論で「あなたは存在しないかもしれない」とか言ったあとに「神の存在証明」とか言い始めるのは、自分の事ながら、なかなかに胡散臭いなぁ笑
でもスピリチュアルな知識ってかなり知的好奇心そそられるんだよね。僕だけ?
まぁ前置きはもういいか。
今日も天才たちの思考に感動しよう。
神の存在証明は3種類ある。ひとつひとつ説明していこう。
存在論的証明
1つ目は存在論的証明。これは中世の哲学者、なんたらの論証だ。
(ちなみに僕は名前とか、年代とか、そういう「試験のための歴史の授業」みたいなものや、僕が興味ない部分は取り上げるつもりはないから、気になる人は自分で調べてね。)
この論証は本来もっと複雑なのだけれど、噛み砕くと以下の4つに絞られる。
1.神は最高完全者である(定義)
2.存在することは、存在しないことよりも完全性が大きい。
3.もし神が存在しないならば、神は存在という完全性を有しないということになる。(2)から。
4.(1.2より)神は存在する。
この論のポイントは『もし神が存在しないならば、神は存在という完全性を有しないということになる』ってところだろうね。よくこんなこと思いつくなぁ。
「存在することは、存在しないことよりも完全性が大きい」ってところにツッコミを入れたくなる人がいるかもしれない。
確かに「画面上のアニメキャラは存在しないからこそ、完全でいられる」ってのはあるかもしれない。
ただ、この論はそういう話じゃ無くて、完全なままでいられるなら、存在してくれた方が完全だよね。って話だからそれだと論点がずれちゃうんだ。
よくできた論だと思う。
宇宙論的証明
2つ目は宇宙的証明だ。これも噛み砕いて言わせてもらう。
全てのものには始まりがある。
例えば、「水」というものができるまでの原因をたどると、最終的にはビッグバンで宇宙が始まるところまで遡る。
全ての始まりがビッグバンに行き着くけれど、人間が科学では証明出来ないような、ビッグバンが起きる原因もあるはずだ。
そんな、全ての原点である「それ自体は原因を持たない」究極の原因、『第一原因』があるはずだ。
この第一原因こそ神だ。
だって原因がないのに存在できるのは、神に違いないだろう。
という論だ。
結構難しいから、わからない人は何度かゆっくり見て欲しい。
つまり、この論では「神様お願いします!」みたいな『全てを操るもの=神』というよりも、ただ『神は全ての原点』なんだと考えている。
これを論を見て「そうか、別に自分の願いを叶えてくれたり、自分の運命を操作しているものだけが神である必要はないよな」と思った。
「はじまりを作った」っていう理由。「万物の原点」っていうだけの神っていう定義もあるのか。と感心してしまった。
神は信じねえ。っていう人でも「これはわかる」って人がいるかもしれない。
目的論的証明
3つ目は目的論的証明だ。
これはいちばんアバウトで、この世の全てのものはどっかの天才(天才というより、高度な知能を持った存在、つまりこの論でいう「神」)が作ったというものだ。
人間というか、生物というか、世界の全ての現象があまりにも均衡が取れているのは、神が全てを計算して作ったからだ。というもの。
例えば、動物が酸素を吸って二酸化炭素を吐く反面、植物が二酸化炭素を吸って、酸素を吐く事で均衡が取れている。というのは、神がちゃんと考えたからだ。みたいな。
ただこの論、ダーウィンの進化論が出てからは、多くの哲学者から「進化論で科学的に証明されてるから、無くね?」って言われています。
僕も個人的には目的論的よりも宇宙論的証明の方がわかる気がする。
まとめ
書きながら、小さいころ「神様ってなんなんだろう、僕っていう存在はなんなんだろう」って考えていたのを思い出したんだけど。
昔の人たちは僕みたいにちょろっと考えて、「答えないやん」っていうものでも諦めずに本気で議論して、考え抜いて、この論たちが生まれたんだな。って思うとなかなか感慨深いものがある。
それにしても、こんなことをずっと考えてるなんて暇人だよなぁ。
それで現代まで名前が残っているんだから、暇人は最強だと思うけど。
あ、あと、3つの論がわかった上で、もう一回最初の論から見ていくと「神」の定義が色々あるんだなぁって深く感心できるので、暇な人はぜひ。
2回にわたって僕の好きなスピリチュアル方向に行き過ぎたから、次回は少しお固い、文学とが芸術とかそっちの話をしようかな。って思ってます。
最後まで読んでくれてありがとう!またみてね〜