教養日記6日目:形而上学
読めないよね。
わかる。
「けいじじょうがく」
簡単に言えば『実在』という概念について、これでもかってほどしつこく突き詰めていく学問だ。
また、アリストテレスは形而上学を「第一哲学」と呼んでいた。
内容を知ると、確かに哲学の根幹となる考え方かもしれない。哲学に興味がある人は知っておいたほうがいい考え方のひとつだ。
さぁ、今日は僕と一緒にそんな形而上学の思考に触れてみよう。
存在論
存在論は形而上学の一分野であり、『真に存在するものは何か?』を突き詰めるものだ。
ここでは存在論の問いをバーッと紹介しよう。
答えがないので、羅列するだけになるが、ひとつひとつ、読み物ではなくクイズとして考えてみると、とても面白いと思う。
・「何かが存在するとは、どういうことなのか?」
・「存在しているものとは、全て物質的なものか、それとも霊魂のように非物質的なものも含むのか?」
・「存在は、例えば『赤い』のような属性で、ものによって持っていたりいなかったりするのか?」
・「それとも、存在とは、存在するもの全ての集合体であって、存在しないものは存在しえないのか?」
わかりずらいので、少し補足を入れると
例えば、人間。
人間という概念があるから「存在している」とされるのだろうか。それとも実際に僕たち人間っていうものが多数存在するから「存在する」と言われているのだろうか。
じゃあ、宇宙人はどうだろうか。
概念とし「宇宙人」はある。だけれども「『存在するもの』として認識されているか」というと、そうではない。これだけで宇宙人は「存在していない」ことになるのだろうかという問いだ。
・「『馬は存在するがユニコーンは存在しない』というとき、馬について肯定し、ユニコーンについては否定しているものとは何なのか」
馬の形して、白くて、ツノ生えてて、翼あって空飛んでればユニコーンなのか?それって突然変異でツノと翼生えて空飛んでる馬やん。
とか
ユニコーンからツノと翼引っこ抜けば馬やん
とかね。
テセウスの船とか、RADWIMPSの「ソクラティックラブ」とかの話にも似てるよね。テセウスの船は今度とりあげるつもり。
こんな感じで永遠と存在について議論するのが形而上学のメイン「存在論」の考え方だ。
哲学者たちの共通認識
多くの哲学者が、形而上学の考え方のうち「事物は実体と属性のふたつに分けられる」という考え方だ。
「実体」とは、いわゆる物体のことで、「属性」とは実体の在り方だ。
抽象的すぎてわかりにくいだろうから、りんごで例えよう。
りんごは「実体」だが、色はりんごの「属性」である。
上の問いでもあったように、形而上学はこの「実体」と「属性」と言う概念から生じているのだ。
属性は個別的なものか、一般的なものか
そんな哲学者たちが以前から考え続けている問いのひとつが「属性は個別的なものか、一般的なものか」である。
正直、僕は最初にこの問いを見たとき、意味がわからなかった。
みんなわかる??意味わかんないよね??
詳しく説明しよう。
まず「属性が一般的なものである」ということは、ふたつの赤いもの(赤いバラと赤いスニーカー)があるとき、「赤さ」という単一の属性が存在し、「赤さ」がふたつの物によって具現化されていることを意味する。
次に「属性が個別的である」ということは、異なるふたつの属性(バラによって具現化された赤さと、スニーカーによって具現化された赤さ)が存在することを意味する。
哲学者たちが考える「属性」について少しでも理解できただろうか。正直ここまでいくと、日々こんなことを考えなくて済む自分の頭の低スペック具合に感謝するレベルだ。
まとめ
こんな感じで、哲学の考えをのぞいてみると、いかに自分が言語化できないで思考を放棄していることが多いかということに気づけたのではないだろうか。
上っ面だけでも理解して、それを噛み砕いて説明するのはとても疲れるけれど、属性や存在なんて考えることもなかった僕はとても面白かった。
こんなことを昔から考え続けてる天才たちは暇だなぁと思いつつも、尊敬の念を覚える。
みなさんも、ここまでいかなくても、忙しい生活の中少しだけ立ち止まって、自分の身の回りの「存在」について考えて見てはいかがだろうか。
また、僕が今回取り上げたのは形而上学のほんの一部だ。興味を持っていただけたらぜひ自分で調べて、もっと深みにハマっていってほしい。