沖縄本島の思い出
生まれて初めて、沖縄本島に旅行に行きました。
石垣島は仕事の関係で行ったことはあったけど、本島は初めてで。
母にどこか行きたいところ無い?と聞いたら、真っ先に出てきたのが「沖縄!」でした。
そういえば、どうして沖縄を選んだのか、大事なところを聞き逃してしまった。
でも、何も迷うこと無く決めました。
母の退職祝いということで、私の方で全ての旅費を出せればと思ったけど、今の私にはそんな余裕はぁ、ございやせんっ。(笑)
でもね、1つ活用できるものがありました。
それは、マイルです。
JALマイルです。
これが結構貯まっていたので、飛行機代はしっかり出すことが出来ました。
ホテル代は出すよ、と母が言ったのでそこは素直に甘えて(甘えんなよ~)、その他のレンタカー代なんかは極力出して、一応旅行をプレゼントすることが出来ました。
そして、行きたいところどこ?ということも聞き、行きたいところが主に本島の南側にあったので、南城市のホテルに泊まりました。
「ユインチホテル南城」
天然温泉あり、ご飯もすごく充実していて、子どもウェルカムで、部屋も広くて、色々なことを加味して、とても安かった!
大人1人、8000円しないくらい。
ファミリーの方々には、特にオススメです。
そして、3日間の中で色んなところに行ったのだけど、私が最も印象深かったところのことを書こうと思います。
それは、「ひめゆりの塔」でした。
すみません、ここからちょっと戦争の話題、暗い話しに入ります。
苦手な方は、そっとこのページを閉じてくださいね。
正直ね、ここは母が行きたいと言ったリクエストに答えてそのまま付いていった感じだったんですけど、すごく、すごく良かったです。
良かったという表現は正しくないかも知れない。
でも、間違いなく猛烈に心にずしっと残った。
私が福岡に住んでいたからなのか、広島や長崎は修学旅行で行ったり、学生時代の歴史の勉強でもこの2都市に関しては触れる機会がすごくあった気がします。
でも、沖縄戦のことをちゃんと知ったのは、もはや今回が初めてでした。
そして、戦争というものを知らなさすぎる自分を、心から恥じました。
沖縄戦は、広島や長崎よりも前に行われ、そして地上戦なので、一般市民も皆が参加したとても過酷な戦いだったのです。
ひめゆりの塔は、当時ひめゆり学園に通っていた15歳くらいの女子生徒たちが戦争に参加し、負傷した兵士たちを手当てし、救護し、暗い暗い防空壕の中で生きた日々を記録し展示している施設です。
もうね、、
本当に、言葉にならないくらいの痛みというか、とてつもない惨さ。
「戦争の悲惨さ」はもちろん、その字の通り「惨さ」。
私が感じた心の表現としては、「悲しい」よりも「惨い」が当てはまりました。
日本人10万人に対して、日本人よりも何倍もの体の大きさをしたアメリカやヨーロッパの連合国の敵兵が50万人。
これはまずいと思った日本は、とにかく隠れて日数を稼ぐぞ、という謎の作戦で挑みます。
戦うでもなく、隠れ続けよう、と。
そのため戦争は長くなり、約90日間もずっと戦争状態が続くのです。
日光の入らない防空壕の中で、次から次へと来る兵士たちを手当てする彼女たちは、寝る暇もなく眠たくなっても立ったまま数分間だけ。食事は、1日1回ピンポン球くらいのおにぎり。とにかくずっと、兵士の傷口に付くウジ虫を取り払う日々。その壕の中の劣悪な環境。人間とは思えない異常行為が繰り広げられる様子や様々な出来事。
それらが、映像や文章でしっかりと残っています。
沖縄戦を経験された方々の生の声は、その当時を知らない私にも、その時の状況がそのまましっかりと伝わってきました。
その時誰がどう言ってどうした。
母と再会した時の心の動き、言葉。
防空壕を出た時の景色。
その時の、人間の駆け引き。
ちょっと高額で一瞬悩みましたが、この施設の資料集、購入しました。
この戦争を経験し、そして生きた人たちの生の声。証言。その貴重さ。
それを思えば、高額でもなんでもなく、
むしろちゃんと知るべきことであり、大事なことだと思いました。
そしてね、私の抱える悩み(もはや悩んでいない?)が、いかにちっぽけなのか、私の抱える心配ごと(もはや心配していない?)が、いかにくだらないか。
今、ここに生きていて何不自由なく生きていて、子どもと主人との楽しい日々があって、何をこれ以上に望もうか。
いかに今の自分が恵まれているか、幸せか、突きつけられたのです。
この方々を前にして、当時国に言われて戦った方々を前にして、自分は恥じない人間としていられているか?ちゃんと生きていると胸を張れるのか?
それくらい、当時の様子を見つめながらも、今の自分というものを突きつけられたのでした。
え、そこまで衝撃だったの?
と思われるかも知れないけど、
うん、そこまで衝撃でした。
そこまで、強烈に胸に響いたよ。
「戦争」というものの痛ましさを、これほどまでにずしんと伝えてくれた施設は、初めてだったかも知れません。
沖縄に行けて、本当に良かったです。
今ここに生きていることの重み、
人の命の尊さ、本当に考えさせられました。
来年から我が子も小学生になりますが、戦争をどのように学ぶのだろうか。
この沖縄戦は、どこまで伝えられるのだろうか。
その痛ましさ、日本の愚かさ、惨さは、むしろちゃんと伝えて欲しい。
もし沖縄に行く機会があったら、嫌でなければ、
是非足を運んで見学してほしいです。
さて、こんなにも重いことを沢山書いてしまいましたが、
子どもたちも一緒に我々は沖縄をしっかりエンジョイしましたよ。
暖かい海に入って遊べたし、世界文化遺産のせいふぁうたきにも行ってお祈りできたし、美味しいものもいっぱい食べた。
ゴーヤチャンプルーともずく、美味しかったなー。(笑)
母も満足して福岡に帰宅しました。
私なりの親孝行、できたかな?
お父さん、お母さん、
本当にお仕事お疲れ様でした。
そして、産んでくれて幸せに過ごさせてくれて、本当にありがとう。
私は、幸せです。