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42.195

フルマラソンの距離が42.195キロになったのは、今から紀元前490年にまで遡る。

当時マトランという地でギリシャ軍がペルシャ軍に勝利し、ギリシャ軍の兵士1人がアテネに走り勝利を報告に行く。
使命を果たしたその兵士は、命を落とす。
第一回オリンピックのフルマラソン競技において、その亡くなった兵士を偲び、兵士が走った距離である40キロがマラソンの走行距離に採用された。

更に、第4回オリンピックにて、当時のイギリス王妃が「スタート地点は宮殿の庭にして。ゴール地点は、見やすいように競技場のボックス席の前にして。」とワガママを言う。そして、それはちゃんと実行される。

これが、42.195キロという謎に中途半端な数字が生まれた経緯だ。

どないやねん。(笑)

昨日、主人が人生初のフルマラソンに挑戦した。

約半年前ほどだろうか、ひょんなことから毎朝歩き初め、「俺、走れるかも・・・」とつぶやいてからジョギングペースで走り始めた。すると、なにかのコツを掴んだかのように毎日10キロ以上もの距離をするすると走るようになる。知人に誘われマラソンチームに入部し、本格的にフルマラソンに挑戦すると決意。彼は、「完走」を目標にはしていない。サブ3.5(フルマラソンで3時間30分を切ることらしい)を目指していた。

大会の前日、せっかくの機会だからということで会場のある茨城県に宿泊した。
ただ、大会が行われる土浦近辺の宿泊施設はもういっぱいなので、少し離れてはいたが水戸に泊まることにした。駅から歩いて30分ほどの距離。

お昼は「ミナミ食堂」というラーメン屋さんでご飯を食べ、日本三大庭園の偕楽園へ。

夕飯は、名店「ぬりや」という鰻屋さんで食した。

鰻でっせ。
ぜいたくやなー。

泊まったホテルからすぐ近くにあったことと、滅多に繋がらないとされる電話が繋がったことをきっかけに行ってみた。

明日フルマラソンを控えた彼は、景気付けに特上をチョイス。

鰻が上に3枚。そして、ご飯を挟んでその下にも鰻が隠されているという贅沢ぶり。ご飯も大盛りでしたので、かなりのボリューム。

彼のリサーチによると、あのマラソンお化けの川内選手は、大会の前日これ以上のとんでもない量のカレーを食べるのだそう。
だから、これくらいは食べる必要がある、というのだ。

それは、何も突っ込まずに見守るしかない。(笑)

私は並でも、並で十分。
もう久しぶりにこんなに美味しい鰻を食べました。
鰻肉厚。ふわっふわっ。
味はしっかりめで食べ応え有り。
最高でした。

それをしっかり食べ終え、さぁ、明日が来るぞ。

彼は、私たち観戦チームが温泉に入っている間、マラソン系のYoutuberの映像を見ながらコース解説をしっかり予習。
坂道での呼吸の仕方や、今回挑むコースの特徴をシュミレーションしていた。

そして朝になり、彼はスタート時間の3時間近く前、子どもたちがまだ寝ているうちにホテルを後にした。

いってらっしゃい。幸運を祈る。

一方、我々応援隊の作戦はこう。

ホテルを8:30前に出て予定通り特急電車に乗り、彼のスタート時間30分前に着き、しっかりと応援する中彼がスタートし、ゴールをそのままゆっくり待つ。

何も難しくない、むしろ簡単極まりない作戦だった。

2人を連れて朝ご飯を食べ、予定通りに8:30前にホテルを出る。
「みんな、急ぐよ!」と言い、ベビーカーに2人を乗せて颯爽と歩く。
よし、良い感じ。
そして、ホテルから駅に行くまであと半分くらいの地点に着いた時、ふと気付いた。

「あれ、私、なんで歩いてるんだろう・・・」

元々の作戦では、ホテルからタクシーに乗って駅に向かうつもりだったのに、
自分でも信じられないが、
うっかりしていた。

うっかりしていただと??

そう。
タクシーに乗ることを、
うっかり
忘れてしまった。

私の謎のトンチンカンが出た。

いや、得意のトンチンカンが出てしまった。

1時間ほど前に、わざわざ主人が「タクシーに乗る際は、こちらに電話するように。」と地元のタクシー会社の連絡先を教えてくれていたのにも関わらず・・・。

自分のあほう!どあほう!

でももうここからタクシーに乗るなんてもう逆に遅い・・・。

そして、走った。(笑)

息子と娘は、焦る私の様子を見て何かを察し、「ママ、走る!」と言って、ベビーカーを飛び降り謎に走りたがった。

いや、乗っていてくれ。

2人が走ると逆に大変なんだ!(笑)

そして、みんなで走ることになってしまった…。

5歳の息子、2歳の娘、35歳のママ。

本当に全員みんなで走った。

歩道がとっても広くて助かった。。

そして、2歳の娘、結構早い。(笑)

実は2人のこの行動は功を奏していて、重いベビーカーは軽くなり、私の体力の消耗をかなり軽減してくれた。そして、寄り道すること無く、2人は真っ直ぐに駅に向かって走っていった。出来た子たちや。いつもこのどんくさい母を助けてくれる。

が、頑張りも空しく予定していた特急電車に乗ることは出来なかった。

つまり、彼のスタートをちゃんと見届けられないことが確定した。

普通電車では、特急電車の倍の時間がかかる。

もう、本当に走って焦って悔しくて、とにかく沢山の汗が出た。

主人にLINE。

「スタート間に合わない。申し訳ない。頑張って!!!」

そして、
”このままだとゴールに帰ってきた彼を見ることしか出来ないのかぁ。。。”と、

私の頭の中にはそれが妙に引っかかった。

ゴールに帰ってきた彼のやりきった表情を見ながら、「お疲れ様~!どうだった?」と、聞くだけなのか・・・。

それって、応援じゃ無いじゃん。

そして私は、ゴールから逆走して35キロ地点で彼を待ち応援することにしようと思いつく。前に彼から「35キロの壁」の話しを聞いたことがあった。35キロくらいからガクッと疲れが出たり、これ以上走ることへのハードルがぐっと上がるらしい。走れない人が続出するのだと。

応援するならそこだろう。

そう思い駅を降りて35キロ時点を歩いて目指した。

その日は晴天。
ランナーにとっては、嫌な程の晴天だった。

通りに立つ係の人に道を聞く。
「35キロ地点に行きたいのですが、ここをそのまま過ぎたら行き着けますかね?」

その人はぎょっとして言った。
「いや、歩ける距離では無いですよ?」

他の方にも聞いてみた。
「この暑さで、ベビーカーを押してお子さんを連れて、いやー到底無理です。」

これは無謀っぽいな。(笑)

でもとりあえず行ってみよう。

ゴールから逆回りに我々応援隊は歩き始めてみた。

川を挟んであちら側をランナーが入っていて、こちら側を歩いた。

あと2時間半くらいも待つのか、この子たちの集中力は。。

丁度歩いていた川沿いの野原には、蝶々、テントウムシ、たんぽぽの綿毛があり、子どもたちがそれで遊んでいた。それに癒やされながら、のんびりそれらと戯れながら、ルートの逆を逆を歩き進める。

すると、その野原に1組の家族がいた。

お母さん1人と娘ちゃん1人。

社交的な息子がその娘ちゃんにぐいぐい絡み、徐々に仲良くなっていく。

お母さんとお話ししたら、そのご家族もご主人がマラソンに出場していて、応援をしようとここを歩いていたのだそう。

この出会いが、とてもとっても有り難かった。

何時間もの間、何もない道路の上でどうやって時間を潰そうかと困っていたからだ。

もうお友達になった3人は、ワイワイ楽しんですっかり遊んでくれた。有り難し。

その野原を歩いた先に、橋がありその橋の上で主人たちを待つことにした。

程よい日陰があったのと、ランナーたちが丁度ラストスパートにかけて大きくカーブするので、応援がとてもしやすい。一瞬で通り過ぎることなく程よい時間、見守り声をかけることが出来た。近くにコンビニもあった。

徐々に先頭集団が目の前を通り過ぎて行く。

猛烈に早いランナーたちの軽やかで力強い走り。

なんかもう体つきからしてまるで違う。

すごく細いのに、まるで鎧のような筋肉がしっかりと浮き出て躍動している。この筋肉が足を持ち上げ、背中を押し、腕を動かしていると見てはっきると分かった。

私たちの近くには、マラソンチームの団体が大勢いて、旗を振ったりしながら大声援を送っていた。

そんな中、ひっそりと私たち家族は彼の到着を待った。

彼の目標でいくと、あと1時間後くらいには来るはず・・・。

時計をちらちらと見ながら目の前を走り去っていく早すぎるランナーたちを見送る。

中には、足がつって立てない人。
足を引きづり顔をぐちゃぐちゃにしてもなお歩く人。
余裕綽々でにこやかに声援に応えながら、行く人。

色んなランナーが色んなフォームで走って行く。

でもその全員が「プレイヤー」であった。

この拍手や声援の音圧を、体で受け止める側にいる。

もう少しで来るだろうか?
もしかして、救護室に運ばれたか?
歩いてしまってスピードダウンしているか?

様々な可能性があるのに、なぜか悪いことしかイメージできない。

じっとランナーを見つめる中、長男が言う
「ねーねー、パパまだぁ?」
「もう少しで来ると思うよ。」

「パパ来た?」
「あなたも一緒に探して」

「パパ来た?」
「りとも応援するんだよ」

「パパ来た?」
「・・・」

「パパまだ?」
「黙って応援せんかい!!怒」

子どもなんてそんなもん。(笑)

でも、私は固唾を呑んで応援した。

久しぶりに何時間も突っ立っていたが、疲れなかったし、あっという間に時間がすぎていく。

もう少しではないか?
と更に集中していた時。

彼らしい姿が見えた。

あ、あれだ!

遠くから間違いなく、彼が走って来た。

「ほら、りと、パパ来たよ!!大きい声で応援しないと聞こえないよ!!」

これ、ややキレ気味に言っています。(笑)

彼の様子は、なんだかまだ余裕があるように見えた。

それは、"ちゃんと"走っていたからだ。

フォームを崩すこと無く、辛そうな表情も見せずに、自分のペースをちゃんと保って冷静に走っているように見えたのだ。

そして、私たちのことにもちゃんと気付き左手の親指を立てて「good」を差し出した。

「いけー!頑張れー!」息子もしっかり声を出した。
私も「あともう少しだよ、あともう少し、頑張って!!」と叫ぶ。
久しぶりに、叫んでいた。

私が一番言いたかったことは、頑張れということよりも「あともう少しである」という事実だった。

あと少し、本当にあと少しだから。

無事にゴールできそう、そんなところまで来ているから。

無事に、どうか何事も無く無事にゴールしてくれ。
ゴールさせてくれ。

声を出しながら、なんだかもう私の方が泣いている。

彼が私たちの前を通り過ぎ、そして一緒に応援しているご家族のパパも無事通過し、ゴール地点に戻った。

すると、彼からLINEが入る。

「3時間半を切りました!」

彼は、やった。
本当に自分の目標をクリアした。
彼は、やりおった。

これは、この大会に出ている人たちの上位10%に入るタイムであった。

そして何よりも、彼は彼自身が立てた目標をちゃんと達成した。

ゴールした彼の姿は、もう真っ白だった。

これは何かの比喩ではなく、本当に彼の姿が真っ白だったのだ。

それは、とてつもない汗が大量に出た証拠で、汗が太陽の熱で蒸発し、彼の汗に含まれた塩分のみが、洋服だけでなく腕・顔にもしっかり残っていて、体中が真っ白だった。

私の人生の中で、私の周りにいる人の中で、フルマラソンを走りきった人を産まれて初めて見た。

その人のこの日までの取り組み方を、その生活を、その毎日の練習を、最も近くで目撃し、それらのすべてを出しきり、達成した事実をちゃんと目に納めた。

私はたぶん、すごいものに遭遇している。

それくらい強く感じるものがあった。

彼の晴れやかな達成感。開放感。

疲れより何より、その爽快な感情の高ぶりを感じずにはいられない。

もう一度思った。

彼はやったんだ。

たまにマラソンチームの人や知り合いの方たちにお会いした。

「初めてのフルマラソンでサブ3.5ですか!え!すご!」

恥ずかしいことだが、皆のその驚く姿をみないと、私はその凄さをちゃんと理解できなかった。

そして、更に恥ずかしいことに、長年彼と生活を共にして初めて、やっと彼のことをちゃんと知ったようにも思う。

物事に対して楽しみながらも深く探求する姿勢。
そして、精神が揺らぐことなく、冷静に毎日走りきった忍耐力。
自分の全力で行ける少し高いところを目指す向上心。

そして私は、頑張ることって何て素晴らしいんだろうと、すごく当たり前のことに気付かされる。

頑張ったからこそ見える景色があるんだ。

この日、我が家の家族の歴史に、「長男の誕生」や「長女の誕生」と同じトーンで、「パパ、初のフルマラソン完走」が刻まれることになった。

彼は、間違いなく家族の誇りだ。

そしていつか、私も何かを刻みたい。

そんな私は今、何キロ地点にいるんだろう?
5キロ?10キロ?

いや、まだスタート地点にも立てていないか?

タクシーに乗ることを忘れ、効率悪く走っているのだろう。

途中であれ?と思いながら、戸惑いながら、誰かに助けられながら、間違いなく不器用に歩くのだろう、走るのだろう。
冷や汗みたいな謎の変な汗をかきながら。

どこかで35キロの壁が出てくるだろうけど、キツくても私も走ることだけは決めた。

走り続ける。

そして、真っ白になりたい。

明日から、頑張る。

頑張るよ。

そして、

頑張ってね。

頑張ろうね。

では、またいつか書きます!


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