「晴海フラッグ」について思うこと

 東京オリンピックの選手村跡地を活用したマンション街である晴海フラッグ。投資目的の購入希望者も殺到し、最終販売期の最高倍率は266倍にもなったという。湾岸のタワマンエリアである勝どき・月島にも近く、最寄り駅はないものの新交通システム・東京BRTによるアクセスの良さが謳われている。だが筆者は同エリアについて思うところがある。70年代に開発された板橋区の高島平団地と重ねて、晴海フラッグの将来を考えてみた。

18haの土地に5,632戸の住戸を整備

 晴海フラッグ(正式名称:HARUMI FLAG)は2021年夏に開催された東京オリンピックの選手村跡地を活用したマンション開発エリアである。選手村として活用した21棟の宿泊施設が17棟の分譲マンションと4棟の賃貸マンションとなり、最終的な総戸数は5,632戸(うち賃貸は1,487戸)となる予定だ。今年24年1月から入居を開始しているが、最終的な竣工は25年秋を見込む。最終的な人口は1.2万人に達する模様だ。東京都のほか、三井不動産レジデンシャルや三菱地所レジデンス、野村不動産といった11の民間業者がデベロッパーとして参画する。

晴海フラッグのエリア図(公式サイトより)

 上図の通り、分譲3エリアと賃貸1エリアに分かれており、中央部分に学校と商業施設が集まる。地上3階建ての「ららテラス HARUMI FLAG」はイオンモールなど郊外型モールほどの広さはなく、駅ビル程度の規模感だ。1階にスーパーのサミットがあり、マツモトキヨシやダイソー、ロイヤルホストといったテナントが入居する。レジャー目的というよりは生活感のあるモールだ。

中央通りの様子(筆者撮影)
建設中のタワー棟(筆者撮影)

 6月に現地を訪れてみたが、一部で工事は進んでいるものの、既に入居者がいるため人通りもあり、車も行き来していた。新交通システム・東京BRT(後述)の停車場にも人は集まっている。マンションの1階にはクリニックやカフェレストランなどが入居する。

人気の理由は安さ

 販売が開始されたのは大会前の2019年。第1期販売の倍率は平均2.57倍で、最高では71倍になったという。最終期の2022年には平均71倍、最高で266倍もの倍率となった。昨年夏に実施されたタワー棟の販売では573戸に対して8790組の申し込みがあり、平均倍率は15倍・最高倍率は142倍となっている。

 晴海フラッグ人気の理由は何といってもその安さにある。勝どき・月島など周辺エリアのタワマンは1億円越えが当たり前、十条など下町のタワマンでも”億ション”となっている現状、1億円未満で買える23区内の新築マンションはかなり魅力的だ。新築販売時の価格帯を見てみると3LDKで概ね7、8千万円台、安いもので6千万円前後の物件もある。2棟のタワマン「HARUMI FLAG SKY DUO」においても高層階は億ションだが、中・低層階の3LDKの一部は6、7千万円台で販売された。

 ここまで安ければ、その後の値上がりを期待する投資目的の購入者も現れることだろう。申し込み戸数の制限を設けられなかったため、法人が複数戸を購入するという事態も発生したようだ。

アクセスは非常に悪い

勝どきから見た晴海フラッグ(筆者撮影)

 入居者には申し訳ないが晴海フラッグのアクセスは非常に悪い。最寄りの「勝どき駅」からは徒歩で約20分であり、真夏や冬場は特に不便に感じるだろう。筆者も勝どき駅から歩いてみたが、6月ということもあり、汗をかいてしまった。

東京BRTの連節バス(公式サイトより)

 とはいえ東京BRTが晴海フラッグに乗り入れている。東京BRTは平たく言えば大型バスであり、通常の道路を走る新交通システムだ。2両がつながった形の連節バスは約110人を収容する。豊洲や東京テレポートなど、4路線が運用されており、新橋~HARUMI FLAG間の路線は両駅間を11分で結ぶ。

 同路線の停車駅は「新橋→はるみらい→晴海ふ頭公園→HARUMI FLAG」の順だが、新橋以外の3駅はいずれもHARUMI FLAGエリア内だ。つまり同路線はHARUMI FLAGの住民を対象とした路線である。だが本数は1時間に概ね4本程度しかなく、新橋方面の始発は6時半、反対に新橋発の最終バスは22時半と早い。現時点で混雑は問題になっていないが、「晴海フラッグ→新橋→都内のどこか」の通勤を考えるなら埼玉や千葉県の駅前の方が便利かもしれない。

当時最新鋭の鉄道が開通した高島平団地

 話は変わるが先日、高島平団地に寄ってみた。高島平団地は住宅困窮者の支援を目的として設立された日本住宅公団(現UR)が開発した団地で、1972年に入居が始まった。板橋区の北端、ほぼ荒川沿いに位置する。賃貸8,287戸、分譲1,883戸の約1万戸から成る巨大団地である。

高島平団地①(筆者撮影)
高島平団地②(筆者撮影)

 今でこそ高齢化や老朽化が問題視されることもあるが、当時は他の団地同様に水洗トイレやガス風呂を完備した新築住宅として入居希望者が殺到した。板橋区によると当時の賃料は他の団地の約2倍であったため比較的年齢の高い層の集中が予想されていたが、子連れの勤労者世帯が予想以上に多く、保育園が次々に設けられた。

高島平駅(筆者撮影)

 それもそのはず。1968年に都営6号線として高島平~巣鴨間の路線が開業したが、団地の入居を開始した72年に巣鴨~日比谷間が開通し、翌73年には日比谷~三田間が開通したのだ。「最新鋭の地下鉄で都心まで30分強で行ける」というメリットを考えれば、その人気の理由が窺える。

団地周辺では街が発展

 団地中心部の棟では低層階に店舗が入居している。スーパーや化粧品店、書店や携帯ショップなどが軒を連ねる。客を呼び込む八百屋もあり、意外と活気はある。

高島平駅北側の様子(筆者撮影)

 そして団地の周辺では自然発生的に街が発展していった。団地があるのは高島平駅の南側だが、北側は商店街や住宅街となっている。高島平全体が計画的に整備されたわけではない。団地の徒歩圏内には病院や図書館、郵便局や警察署などもある。

西台駅前の様子(筆者撮影)

 三田線で都心方面へ一駅進んだ西台駅周辺には店舗が並ぶ。写真右手に見えるダイエー西台店は団地の住民を取り込もうとしたのか1978年に開業した。

「余地」の無い晴海フラッグ

 住むことだけを主体に考えれば、最低限のスーパーにマンションの建屋さえあれば機能する。そうした面で晴海フラッグと高島平団地は似ている。だが周辺の飲食店や住宅、道路といった町並みを「余地」と捉えるなら、晴海フラッグにそうした部分は感じられないのだ。島にマンションを敷き詰めることを目的としているから当たり前なのだが、集合住宅の住民には息抜きとしてそうした部分も必要だと筆者は考えている。

歩行エリアの広い高島平団地(筆者撮影)

 高島平の「余地」はより細かいところでもみかける。遠目に見るとぎっしり建物が詰まって見える団地でも、地上部分には木々が多く並び、座れるスペースも多い。外で雑誌を広げてラジオを聴く高齢者や、昼間から隠れるように酒を飲む高齢者を見かけた。木々も公園もあるとはいえ、晴海フラッグのそれは効率化されており、「余地」は少ない。2人の高齢者の行動を晴海フラッグは許容できるのだろうか。

 分譲主体で資産性を考えた晴海フラッグと、賃貸主体で住居供給が目的の高島平団地。両者を単純比較するのは愚行と言われるかもしれない。だが50年が経ち、様々な問題が挙げられる高島平でも一定の活気はある。対する晴海フラッグの50年後はより寂しい姿になってしまわないだろうか。


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