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全日本マスボクシング選手権2024② 〜もう“コンフォートゾーン”さえないオレたち

↓前記事より続く。

時は6月30日の日曜。

東洋大学で行われた、全日本マスボクシング選手権

「東京都代表選抜選考会」

その場にテツさんはいた。

タンクトップからは、引き締まった“スキニー・マッチョ”の二の腕と、三角筋、後ろからは広背筋が飛び出していた。

その肉体は、あたかもCPUの高いインテリ系PCの拡張スロットから飛び出した、外付けの優秀なデバイスのようだった。(意味不明)

とにかく「上司にしたい男・No.1」とジム内で不動の位置を締める男は、この日 “全日本出場”を強く強く、どこまでも強烈に求めていた。

「テッさん、一緒に勝って祝杯ですよ」

自分もそう声をかけて、また精神集中の“ゾーン”に戻る。

そう、自分も今回は“テツ兄ぃ”と一緒に、全日本に出るんだと固く誓っていた選手の一人であった。

控え室兼アップ場とされた、板の間の体育館。

当ジム最高齢の61歳小林さんをはじめ、テツさんと初戦同門対決の永井さん、40代は橋本さんや井関さんらがマットなどを敷いて、ゴロリと横になったり、バンテージを巻いていたり、音楽を聴いていた。

30代はマサさん。学生時代からスポーツの第一線で戦ってきたエリートであり、ボクシングもかつてプロライセンスをもっていたようだ。やはり自分のルーティンで精神集中をしている。

20代カスミちゃんは、顔面蒼白となっていた。無理もない。ボクシングをはじめてまだ一年たっていないが、“今しかできないチャレンジをしたい”と思い切ってエントリーをした。どうやら相手は大学でボクシングをしている経験者だということで、緊張感はさらに増幅しているようだった。

また、他にもこの日試合を控えていたのが小学生たちだ。6年生のサスケ、メイ、コハル、5年生のヒマリ。みんなが「絶対に勝つ!」と気合を入れている。

そんな中、もう一度テッさんを見ると、やはり固い意志をもって「優勝」、そして「全日本出場」を目指している。

この横顔、個人的には広島東洋カープの山本浩二さんを彷彿する(分かる人、昭和)

テッさんとやや目があうと、お互いに軽く頷きあった。

50代

もう一度こんな時間と場所を共に味わえるなんて、最高だ。

(じゃ、オレは衣笠でいくか。。)

そう心の中でつぶやいたのも束の間、今度は30代のマサさんとも目が合い、やはり無言で頷きあう。

(マサさん、アナタは北別府でいこう。)

俄然気合が入った。
(※ちなみに自分は近鉄バッファローズファンだった)

MUGENのコロナ渦の空気を思えば、この1、2年前が嘘のようである。

MIDDLE AGE CRISIS

2021年のコロナ禍の襲来は、多くの人間に深い禍根を多様に残したことは、まだまだ記憶に新しい。

“絆”

東日本大震災の時のように、その言葉はまた頻繁に現れたけれど、現実はやはり違った。

「分断」こそが常に自分たちの毎日に、“お約束”のように現れていた。

人と人の心の分断

「密です」「人流」「ソーシャル・ディスタンス」「黙食」「リモート」

そんな日常の中、今度は「自分の中の分断」が、誰の心の中でも起ころうとしていたのではないだろうか。

この時期、“元門下生”の若者たちからの突然のDMがSNS経由で複数、次々に届きだした。

人間不信と孤独。

「何もできない」
「誰とも深くつきあえない」
「自分に価値なんかない」
「もう生きていたくないんです…」

何度もヒヤリとさせられた。
自分なりに誠実に対応をし、親にすぐに相談するよう伝え、幸い大事に至る者は誰もいなかった。

しかし、そんな憂鬱は若者だけに限ったものでもなかった。

中年のオトナたちからも無声、無音、無形の異常は発せられていた。

それはまるで誰にも探知されたくない、絶望のモールス信号のようだった。(これも適当)

しかし、その信号たちはどれも同じような心象(こころもよう)を表示していたように思う。

(もう、いいか…)

長くやってきた空手。
ここらでもう辞めよう。。

かといって次の希望や行き場があるわけじゃない。ただなんとなくヤル気もなくなり、無感動になり、くぐもっていく。

“フルコンおじさん”

かつてコラムを書いたのは、コロナ禍の真っ最中だったと思う。

しかしコロナ前は
きっと空手や他の格闘技に限ったことではなく

いわば、庶民の生活全般が“フルコン”だったのかもしれないと、今になって気がつく。

一億総フルコン列島

みんなが
フルコンらしく
フルコンのままに
フルコンでいられた時代だった
(ただのノリ)

でも隣りあうことの温もりを感じられる
「つながり」が至る所にあったことは事実だ

しかしコロナ禍はそれを変えた

疑わしき“密”さえも
  「悪」

そんな生活が3年も強いられたのだ

咳払いをする中年たちはスマホに録画され
電車から締め出された

飲みニケーションを求め恋しがるオヤジたちは
ウザい、キモい、無理と疎まれ、迫害された

おまけに、リモートでもたらされた「おうち時間」からも、居場所を失ってしまう同志が多発した

“亭主元気で留守がいい”(引用:タンスにゴン)

そんな「フルコン・ライフ規制」に疲れた中年男性たちの
MIDDLE AGE CRISIS。

いわゆる“更年期障害”は、うちの道場の界隈でも多発した。

うちには、オーバー50の会員さんも多いのだが、とにかく順々にその憂鬱は各メンバーを襲っていったのだ。

現代の50代周辺のオジサンたちは、かなり「割(わり)をくっている」感がある。

バブル期の隆盛は味わうことできない一方で
第二次ベビーブームで苛烈な競争

ゆとりなし。
生意気いうな、甘えるな、
言い訳はいいからとにかくやれの時代。

体罰、パワハラが横行した時代
それでも「そこに愛情があるのだ」と聞かされ
明日を夢見た

上が
白といえば白
黒といえば黒
グレーはねぇぞ!!

中年上司たちは、
そんなチョッパー&シャコタン気味な号令をかけていた

その一方では
バド・パウエルがかかるバーで
限りなく透明に近いブルー(by 村上龍)について語り出したり
色彩豊かなクリスチャン・ラッセンのコピー画を家に飾ろうとしていた

そんな厄介だけど
きわめて人間らしい時代の「末端」に
ひたすら"ペーペー"(平民)として生きてきた世代
それが今の50代だ

そんな中を生き抜いてきた中年たちが、このコロナ禍で今度こそめっきりとダメ押し気味に、疲弊してしまった。

解決はもういい。
してもしなくても同じこと。
もう部下にも家族にも「ほうれんそう」は求めることはなくなった。

自らを喪失することによって、その喪失感から逃れたいという、ラビリンス(迷宮)。

その奥へ向かおうとするMIDDLE AGEたちの心は彷徨っていた。。

「正直、あの時はもう潮時だなと、僕も思ってました」

今年に入ってから、テッさんはボクシングのトレーニング後にそう打ちあけてくれたことがある。

「あの頃、先生にお願いされて、いろいろな同年代の方と飲みに行きましたけど、みんな言ってましたよ。なんで今さら顔面ありのノンコンタクトなの?って。」

「しかも、マス・ボクシングもやりませんか?って。こっちはフルコン+投げでずっとやってきたのに…って、非難囂々(ごうごう)でしたよ(笑)」

「でも、結局はそうやって集まって、みんな酒飲んでご飯食べて落ち着くんですよね。それで、また稽古で会おうって。」

「当時は誰かがクライシス感出ると、また先生にお願いされて、"先生のいないオジサン会”を開くんですけど、でも、みんな会うたびにちょっとずつポジティブに変化してくるんですよね…」

「顔面ありでも、投げられるようになっただとか、ボクシングめちゃくちゃ面白いとか…」

「RING FIGHTで、はじめてリングで戦ったときは興奮しました。先生は70代の選手を他のジムから連れてきて、自分たちなんかまだまだ若造なんだなとか気がつかされたり、」

「で、気がつけば、シューズとかグローブとかAMAZONで選んで買って、めちゃくちゃテンションあがってたりして…」

「で結局、僕なんか完全にハマっちゃいました、ボクシングに。永井さんも麻生さんも、他の人たちもみんなそうですよね」

「数年前まで身体デカくする筋トレ長くハマってましたけど、今はもう興味ありません。速く動ける無駄のない筋肉を鍛えるようになりました。ボクシング上手くなりたいんですよね…」

「あっ、もちろん空手も好きですよ!変わらずに!」

テッさんは気遣いのできるオトナの男性だ。
いつも道場に「ハイボール缶」をダースで差し入れてくれる。稽古後にみんなで一杯飲んで話していけるようにと。

自分もそう言われて、待ってましたとばかりに答えた。

「いや、大丈夫です。愚痴、大いに結構です。自分の仕事はみんながまだ知らない感動を提案して、憎まれ役になっても実行することですから」

いつも肝に命じていることだ。
マジックのある人間でいたい。

人生の師である石井直人先生から伝授された思想だ。

自分は続けました。

「初めは自分の言っていることが分からなくてもいいんです。ただ、最終的に “あ、山口はこの未来のことを言っていたのか”と、それが"今”になってみて分かってもらえるのが楽しいんです」

哲也さんが両手を膝にうちつけて、"はい、センセイに気持ちよくやられました”とおどけてみせる。

自分ももう少し弁解をさせてもらう。

「毎回必死です。今回もやっぱり巻き込まれてよかったなと思ってもらえるように。自分は種明かしを予め告知するスタイルなんです。それでいて、結末には知らないマジック、感動に出会ってもらいたいと誠心誠意尽力しています。そこまでお付き合いいただける方々には、本当に感謝です」

これは自分の素直な気持ちだ。

かつては週一回の稽古ペースだったテッさんは、週3回の稽古頻度になった。

15年前、哲也さんが空手道場に入会した時もそうでした。

いや、誰もがハマればそうなる。

哲也さん、永井さん、麻生さん(あんなに張り切ってたのに大会は風邪で欠場。。)、61歳の小林さんもほぼ同じような時代の呼吸を吸っていたはずで

「場の空気を読め」

そんなことを言われて育った世代が、「密です」と言われて、息をとめさせられた。

そしていよいよ朦朧として、感覚麻痺をおこして、せめて周囲には気にさせないように配慮しつつ消えていきたくなったあの頃。

そこで立ち止まった。踏みとどまった。

なんで今さらと思いながら、また顔面あり、寸止めの空手、マス・ボクシングを全くのゼロからやり直した。

あの時、消えることもできた。

それは確実にいえるだろう。

もしあの時に消えていたら、今頃みんなはどんな空気を吸っていたのだろうか。

みんなの素晴らしいパーソナリティを考えると、また違った素晴らしい世界がきっと待っていたのだろうとは思う。

しかし、そのパラレルワールドの岐路に踏みとどまった昭和戦士たちが、マス・ボクシング東京都代表選考大会で大いに魂を燃やそうとしている。

さぁ、都大会一回戦。

メンバーたちが立ち上がり、軽いジャンプ、そしてシャドーを始めた。

“全てを燃やせ”

先ずは、小学6年生のサスケの第一試合だ。

こどもたちのドラマもまた、オトナたちに劣らずに深いものがある。

(つづく)

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