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全日本マスボクシング選手権④一心から無心へ
↓前記事より続く。
7/3水曜夜22:00、眠らない街渋谷。
東京都が一望できるホテルのトップ・ルーフ・バー。
自分が哲也さんと共に友香ちゃん、香純ちゃんを伴って、カウンターに予約を告げると、半屋外の貸切個室に通される。
そこで先に座っていた巨体の後ろ姿がむくりと立ち上がり、外あかりの逆光となったそのシルエットは、「押忍」と十字を切った。吉田さんだ。
吉田さんは"雄のスーツ姿"が似合う。
Netflixで話題になった「地面師たち」のピエール瀧を彷彿とする、圧倒的な威力ある風貌だ。
「先生、なんだかここ、"アレ"じゃないですかぁ???
先生が女の口説く時に使うんですかねー、なんだか ビックリしましたよ」
吉田さんが悪戯っぽく笑う。
「そうですか、そう考えるのは吉田さんだけじゃないですか?」
自分が吉田さんと馴れ合った調子で話している後ろで
哲也さん、友香ちゃん、香純ちゃんが歓声をあげている。
決して高層のホテルのバーではない。
でもだからこそ、夜空にさまざまの灯りが溶け込んでいる夜空が少し切なくて美しい。
そう切なさがある美しさ。それがいいのだ。
「じゃぁ、マスボクシング都大会のお疲れ様会、そして吉田さんの復帰を願ってということで…」
みんなで夜空越しにグラスを合わせた。
一口目をぐっとあおった哲也さんがつぶやく。
「はぁ〜〜〜、おわっちゃいましたね・・・」
「ええ、終わっちゃいました」
自分も短く返す。
「しかし、悔しいです・・」
そう言って、哲也さんはもう一口飲み干してみせた。
友香(ゆうか)ちゃんが上唇と下唇を噛むようにしまう、やさいい微笑みをなげかけた。
「今日、こんな場所を選んだのは香純(かすみ)ちゃんのためです…」
自分が告げると、香純ちゃんはハッとして驚いた表情をみせた。
「ほら!やっぱりぃ〜〜〜!!」
吉田さんがおどけてツッコミを入れるのを制しながら、自分は伝えた。
「今回はエントリーした大人の女性で試合があったのは、香純ちゃんだけです。麻以さん、佐賀さん、友香ちゃんは、対戦者がいなかったので、そのまま通過して全日本です。しかし香純ちゃんは善戦しましたが、我々と同じで夢敗れました…」
吉田さんもさすがに神妙な面持ちになった。
香純ちゃんの相手は大学生のボクシング現役経験者で、とても巧いボクシングをする子だった。
それでも香純ちゃんも大したものだった。
スピードのあるパンチとステップワークをずっと最後まで止めることはなかった。
「本当に香純ちゃんの戦いは素晴らしいものだったと思う。そして、今回は挑戦が一足先に終わりましたが、その経験をきちんと大切にしてほしい。だからここを選んだんだよね。香純ちゃん、本当にナイスファイトでした。そしてお疲れ様」
香純ちゃんがすこし胸をおさえて息を飲み込むような仕草をした。
やはりここからの渋谷の夜景は切なくて綺麗だ。
「いや〜、しかしめちゃくちゃ、練習しましたよね〜、僕たち・・」
哲也さんがまた一口グラスを煽った。
友香ちゃんがまた上唇と下唇を結ぶように噛んで、やさしく微笑んだ。
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ENTRY「失われた時を求めて」
辰太郎のUJ都大会での活躍から2ヶ月後、今度はマスボクシング全日本選手権の予選がおこなわれることになった。
5月に入り日程と応募の開始が告げられると、ジム内は一斉に色めきだった。
応募したのは、内部選考も経て21名。
成人13名、学生が8名である。
皆6月末の都大会に向けて張り切りだした。
その多くが参加する回数を2倍3倍に増やして、とにかく練習に励みまくった。
ジムの空気が一気にアツくなる。
目標ができることで活気が生まれる。
そして目標のもとに協力しあえることで、連帯感や団結心が増していく。
「出るからには勝ちたい」
参加者全員、そしてそれをとりまく練習生たちの熱狂がはじまった。
自分も1日2部連をこなし、体重も8キロしぼりつつ、瞬発力を増加させるトレーニングに励んだ。
そしてテクニックも「マス・ボクシング仕様」になんとか変えていこうと努力をした。
そんな時に横並びで努力をしあったのが、同年代では哲也さんだった。
あるクラスの後に哲也さんが肩を落としていた。
「今日のスパーは何にもできずボコボコでした….」
マスでもボコボコというのはある。
「いや、自分も若い子たちとやったら、ボコボコにされてますよ…」
真剣になればなるほどに落ち込むことが増える。
思うようにいかないことばかり増える。
それは勝利への「解像度」が高くなるからだ。
いざ実際に勝負を現実に意識すればするほど、普段の都合のよい妄想は打ち砕かれていく。
"自分イケてんじゃね?" "ちょっと頑張れば余裕"
そんな根拠のない自信こそが、何かに踏み切る絶好のモチベーションになる。
しかしいざ頑張ってみると、まるで夢から覚めてしまったかのように、まるでなってない自分に出会う。。
それでも一緒に頑張れたのは、全ては勝ちに行くプロセス、努力の日々が苦しくも楽しいから、それに尽きる。
MUGEN MARTIAL ARTS 「SWEET BITTER STUDIO」
昼クラスには、61歳の小林さんが週3、4回の稽古頻度でジムに現れて、懸命に汗を流されていたし、麻以さん&佐賀さんママさんペアは、仕事と家庭の両立の間で汗を流し、友香ちゃんと香純ちゃんは水曜と金曜を軸に毎回2クラス+居残り稽古の3時間練習をガッツリこなし続けた。
昌さんとは週末の練習で、マスというルールの中で、いかにパフォーマンスを高めるかを相談し、練習に没頭した。
みな、学生時代にどこか夢見ていた「全日本選手権」に夢を見ていた。
どこかに置き去りにしておいてきた、ヒーロ願望。
もう一度それに向かってみたい。
そう思わせてくれたのが「マス・ボクシング全日本選手権」だった。
世界最高傑作の一つといわれる、マルセル・プルースト「失われた時を求めて」は、過去の記憶「思い出」が自身を形成していると示唆する物語だ。
紅茶に浸したマドレーヌに、幼少期を思い出す。
"リングの中で戦う"
ということは、ひょっとしたら多くの人間にとって「幼いころに夢見ていたもの(Vision)である可能性が高い。
空手道場ではじまった「ボクシングクラス」
そこでグローブに手をとおした瞬間。
それこそが、"紅茶に浸したマドレーヌ"であったのかもしれない。
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少年時代
それはキッズクラスでも同様だった。
サスケは5歳の頃から当時発足したK-1キッズチャレンジチームについて回り、翔太や辰壱、辰太郎の有志にあこがれ続けてきた。
心春と芽依は、この春それまで所属していた系列道場から完全に移籍。
原宿だからこそ、いろいろなことにチャレンジできる環境、自己成長を選んだ。
陽葵は原宿道場移転時に、全くの別流派の道場を辞めて、白帯からやり直した。その道場では組手がなく、"強くなりたいから"その一心で入会をして、ゼロから積み上げ直した。
みんなにドラマがある。
なってみたい英雄像がある。
こどもも大人も同じだ。
とても面倒だし、誰かと戦うのは怖いことだけど
戦いの先にある「自分」にどうしても出会いたい。
気がつけば、その思いへの一心は無心へと変わっていく….
「先生、ヤマグチ先生は今回どうでしたか?ご自身、そしてみんなの戦い」
ふと哲也さんが自分に投げかけた。
渋谷の空の彼方に飛行機がゆっくりと通り過ぎていく。
そうして数日前に終わったあの試合をゆっくりと思い出すことにした。
(つづく)