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約束を守っていたら原宿にいた話 / MUGEN MARTIAL ARTSの基礎

先日東京都アマチュアボクシング連盟の方に「山口さんのブログ、面白かったです」と言われて動揺しました。

(え・・・?ホームページに何か面白いこと書いたかな・・?)

そう迷っていると

「いや、"フルコンおじさん"とか、"エスパー系"とか、ああいうの面白かったです」

そう言われて、

(あ、むかしNo+eやってたな・・・)

と、ようやく思い当たることができました。

フルコンおじさんは、ちょっと近場の周囲で"プチ炎上"してしまった感があります。

自分も含め、周囲には"フルコンおじさんの気"というのが大なり小なりあって、自信なくしてしまうんですよね。更年期世代、ガラスなんです。意外と。

仲間であるはすのオジサンたちには、予想以上にパンチがデカすぎた記事になってしまって、あんまり他の記事も追従して書けなくなったんですよね。

そのあと、マススパーで"上級者にはフルスイングで当てにいってもいい"という勘違いをしている、勢いのよくツッこんでっくる大きな体格の若い人に、何度かストッピングのジャブが入ってしまったんですが、「あんたがフルコンおじさんじゃね?」的な逆ギレにあって、さらに僕の気勢は"しなびて"いきました。

しかし、一方で道場は原宿に移転して"スタジオ"というか"ジム"になる方向でどんどん進化していきました。

今日はそのことを「久しぶりの記事」として、ちょっと書いておきます。

冒頭にアマチュアボクシング連盟の話を書きましたが、先日MUGEN MARTIAL ARTSは、東京都アマチュアボクシング連盟に加盟しました。

とりあえず、佐藤翔太くんや林辰太郎くんといった選手たちの選手登録は済ませました。これから一般の会員さんたちも登録できるようになります。(マスボクシングの大会などにもでられますので、幅広い年代がチャレンジできる舞台がありそうです)

連盟の加盟にあたっては、綿密な調査があるのですが、とてもしっかりとしているなという印象で、申請作業は多かったですが、その分逆に感心してしまいした。

リングやサンドバッグ、十分な練習スペースと備品があることに加え、指導能力も問われるのですが、佐藤翔太くんと林辰太郎くんをみていただいて、一発合格でした。早速辰太郎くんは東京都の強化練習に参加させていただきました。(来月から翔太くんも参加させていただきます)

おじさんたちとは「来年のマスボクシングの全日本大会にいこう!」とわいわいと賑やかに言っています。(若い子に比べて、おじさんたちの部門は打ち解けた雰囲気で楽しいそうです)

希望が膨らみます。

でも、ツッ込まれそうですよね。

「え、MUGEN-KARATE、アンタ、空手はどこいったのよ!?」と。

原宿道場での社会人クラス審査会

まぁ、実際には既にツッ込まれていますし、
それは何も今にはじまったことではなく、
自分が指導をスタートした20年前から、ツッこまれています。

空手、唐手、カラテ・・・・
キック、K-1キック、ムエタイ・・・
アマボクシング、プロボクシング・・・
武道、武術、格闘技、古武術、総合武術、MME、・・・

なんか、こういう分類が"おなかいっぱい"です。

自分にとっては、"マーシャルアーツ"という言葉が、いちばん寄り添ってくれる、フィットしてくれる言葉です。

ストレートにいうと

「感動するほどの、強さ、美しさがあるもの」

それが自分にとってのマーシャル・アーツなのです。

空手カルチャーは、自分にとっての土台、アイデンティティかもしれませんが、少年時代はタイガーマスクに憧れましたし、緑健児にも憧れると同時に、大橋秀行、辰𠮷𠀋一郎、ユーリ・アルバチャコフ、チャンプア・ゲッソンリットやチャモアペット、アンディ・フグ、アーネスト・ホーストも大好きでした。柔道は古賀稔彦に魅了されました(敬称略、大変失礼します、押忍。)

強くて、美しくて、感動するもの。

そこに競技的な「垣根」を認識する、強制などは存在しません。

ワクワクして胸が弾んで、どんなたいへんな努力も自分自身で課してまで、がんばろうと思えるもの。

それが自分にとってのマーシャルアーツです。

ちなみに、上にあげたレジェンドたちは基礎が綺麗です。
実際の試合も強くて、シャドーがとても美しいです。

とはいえ、自分は空手がすごく好きなので、いちおうこれでも「空手中心」に物事を考えてきた人間です。

それがなぜ原宿に"ジム化"した道場ができるに至ったのか

それをようやくお話ししたいと思います。

自分の道場ヒストリーは「約束を守ること」によって、展開してきたといっても過言ではありません。

これは自分が「全ての約束を守る聖人君子」では、必ずしもないことを先に断っておきます。結果的に守れなかったことも多少はきちんと人相応にはあると思います。

ただ、この20年間の道場の展開においては、常に人との"志ある約束"があって、それをとりあえずは全うしてきたという、その結果で全て作られています。

一つ一つにドラマがあることなので、中途半端には"語り書き"をすることはできません。

せめて、ざっと"見出し的"に並べてみます。


「小さい人でも女性でも楽しめる空手道場、あったらいいな。。」という、仲間たちとの会話

→そういう道場を作ろうというモチベになった。

大きな人間が優位なフルコンについていけず、空手が好きなままやめてしまう、軽量級や女性が少なくなかった。


「やっぱり常設道場がほしいね。クラス後ももっと練習したい」
→蔵前に常設道場をつくった

当時はクラス後に公園にいって、空手の練習や談義をして遅くまで語らっていた。


「麻布とかにもMUGEN、あったらいいのに。。」
→麻布十番駅前に二番目の常設道場をつくった。

当時、起業したての会員が麻布十番に住み始めて、そう呟いた。
いろいろな人種がいる街でこそ、自分達の空手を試したいという意気込みを語られた。

いろいろな国の人も来られる道場作りを模索した。


「組手だけじゃない空手って、ないかな。。」
→演武会をイベントとして定着させた。

組手より型が好きな、ある3年生の男の子の心情の吐露をうけとめた。


「家族で充実できる空手、もっと考えられるはず・・」
→三世代道場をかかげ、親子イベントなどもおこしていった。

空手にどハマりした外国人ファミリーが、こうしたつぶやきを毎日のように連発していた。


○「もっとモチベーションが湧く環境をつくってほしい」
→K-1キッズチャレンジクラスを創設。

当時無気力だった子たちの起爆剤として、他のスポーツに仲良かった子たちが移籍し、その子たちが全国大会などの競技に参加していたことを妬んでいた子のためにも、創設を決意

○「顔面ありでも競技をやっていきたい」
→プロボクサーの指導を受けられる環境をつくる

○「外部の競技を辞めてもリングで試合をしたい」
→顔面あり競技をつづけられない女子たちの声を反映して、道場に取り外し可能なリングを設置できるようにし、寸止め式の大会なども始めた。


○「中高年でもモチベーションのあがる空手活動をしたい」
→怪我のない「寸止め式」を採用しつつ、それでいてエキサイティングな顔面パンチ有り、そして従来のテイクダウン有りの空手へと移行した。

男性の更年期についても、改めてフォーカスをして、もっとモチベーションのあがる環境整備につとめた。


○「中高学生でも続けられるクラス環境をつくってほしい」
→ユースクラスを新設した。

中学生になって今までの小学生クラスに居続けるのも、すぐに社会人クラスに移籍するのも、どっちも収まりがよくない。

そういう現状を鑑みて、少年クラスで取得した黒帯を継続しながら、ユースクラスでも社会人クラスの黒帯を目指せるシステムを作った。


○「空手の道場にいながら、キックもボクシングもやれる場がほしい」
→原宿道場の新設、アマチュアボクシング連盟への加盟

若い人たちも、ベテランの中高年も、「空手が大好き」。
そしてキックもボクシングも、やってみたい。

道場やめた後に、学校でボクシング部に入ってうまくいかなかった子もいたし、キックボクシングでルール上重視されないディフェンスをもっとやりたくなっている子もいるし、足腰の効かなくなって蹴りがシンドくなる中高年もいます。

MUGEN MARTIAL ARTSのくくりを改めて作って、空手、キック、ボクシング、その他を頑張れる場をつくりました。

その他にも子供たちの後援会を作ったり、プロ選手たちへの応援も、自分なりに約束や使命に基づいて、誠実にやれることはやってきているつもりですし、「約束」というものを年齢問わず、自分は「自分の側」でできることについては、なんとか全うしようと思ってきました。

最近の「空手道場なのか何なのか」という問いなんですけど、自分にとっては全てが MUGEN STYLEであり、この道で出会った人たちとの約束を守って切り開いてきた場。

それが "SWEET BITTER" STUDIOという場所に、いまも現在進行中で集まってきているということです。

自分が2006年に独立した時も、自分自身は当初空手からは身をひいてやめるつもりでしたが、当時80人いた生徒さんたちが「山口さんの元だからこそ、空手をやりたい。小さくても抜群にカッコいい道場を、オレたちの手で作っていこう」と、当時平均年齢20代〜30代の男性や女性が気炎を吐いてくれました。今も忘れていません。

その前の流派の人たちとも、空手ってすごいよな、絶対最高だよなといって、だからこそ選手練習ではボクシングもキックの練習も取り入れたりしてました。やっぱり選手引退したら、こっちもきちんと研究しないとなとか言ってましたよ。競技が違うから経験者に敵わないわけです。

なので、自分にとっては、今も諦めず、みんなとの約束というか夢を、きちんと目標にして、一つずつ今も叶えているということです。

長いな。。長いですよね、文章。

でも先日、あるプレスから「山口先生の道場に込めてきた心意気、ヒストリーを取材させてください」と依頼があったのですが、文章何文字にまとめられると、きっと"違うもの"になると思ったんですよね。

なので、フルコンおじさんとか、エスパー系とかより、全然面白くもなんともない文章だとは思うんですけど、これを残しておきます。

あ、そういえばある大学ゼミからも「道場経営の成功の秘訣」を調査させてほしいという申し入れもあったんですけど、成功とか考えたこともないです。いつも大変ですよ。

毎日希望にもえて挫折して、人との約束に「志」を感じたら、一緒にがんばる。それが楽しいので。

その約束した相手がもうその場からいなくなったとしても、自分はやり続ける。

それだけ精一杯やっています。

本当に毎日それだけです。

それで今は原宿にいます。

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